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関係に名前を付けたくはないけれど

彼氏と関係性を変えることにした。ずっと近くにいるために。

私と彼は3年間友だちで、友だちという言葉に収めたくないくらいに分かり合えるところが多くて、一緒にいると楽で楽しくて、見ている問いが同じで。そういう人と一緒にいる時間が増えたらハッピーだと思ったし、付き合う前の行動と事実だけ並べたら一般的に彼氏と彼女と呼ぶような関係だったから、お試しで付き合ってみようとなった。

付き合ってみたら恋愛っぽい感情が湧いた自分にも、関係性を変えたらそういう感情がすっと消えていった自分にも、驚いた。名前の力、強すぎない?

途中から、彼氏がいる私や彼氏とする何かに憧れがあって――例えば中華料理屋さんに行く、ワインを宅飲みする、ドライブに行く、お昼過ぎまでうちで寝ている、とか。ほぼ実現できてしまったら、ちょっとしたモヤモヤみたいのがでてきた。私にとっては、きっと結婚もそんなもので、facebookに結婚の投稿と結婚式をすれば、満足しちゃって、この関係に対する目的は達成してしまうのかもしれないと思った。

そのときに、ちょうどそういう話を投げかけられた。理由は、このまま付き合い続けると最悪関係が壊れてしまうから。

付き合い始めてから、変化に対して臆病になってしまっていた。もし、これが本当の『付き合う』ということだったら、すごく悲しいなって思っていた。なんでかはわからないけど、相手に嫌われたくないからなんだろうね。好きでいてもらうためには、相手が好きになってくれた私でいないといけないとって思っちゃう。

関係をやめた後、未来に約束された楽しみがなくなってしまう悲しみが一瞬北風のように通り抜けることはあるけれど、心の柱がなくなった感じはしない。それより、なんだか身軽になった気がした。1ヶ月半だったというのもあるけれど。

関係性を変えるときも、始めるときと同じように、1時間半くらい話し合った。彼も私もこの関係に思っていたことは同じで「おじいちゃんおばあちゃんになっても近くにいたい」だった。だけど、だから、変えようとなった。楽しい時間を共有するために、ふたりで出かけるのはあり。だけど、孤独感を満たす手段になってしまうから、身体はなし。関係に名前をつけようとしたけど、全然しっくりくるものはなくて、恋よりは愛や尊敬で、家族で親友で。『親愛なる隣人』『家族』『パートナー』とかも出たんだけど、『彼氏的』『彼女的』ということにした。本当の彼氏や彼女ができたら、うーん、どうなるんだろう。きっとまた話し合うんだと思う。

『ずっと近くにいたい』(not 一緒にいたい)関係をお互いに築く意思があるのなら、共有できるのなら、一般的な名称も口頭契約も法的契約も不要なわけで、そしたら私はそれらに何を求めるんだろうな。彼氏と彼女、夫や妻というレッテルがないとつながれない人って、どんな人や関係ってなんだろうな。それが言語化できるまで、きっと私は彼氏をつくらないんだろうな。

と考えていたときに、関係を定義する言葉って意外と少ないなって思った。『家族』『彼氏』『彼女』、『親友』『友だち』。

友だちは一番楽だけど、曖昧で、たぶん使ってもあまり意味がない。だって、「私たち友だちだよね?」なんてセリフは小学校以来使ってない。『親友』は、なんかこそばゆい。これも小学校以来使ってない。

でも、男友だちといるとやっぱり関係を聞かれるし、私もふたりでいる男女の関係が気になるし、関係の名称を共有して安心感がほしい。「男友だちでええやん」って言われそうだけど、『男友だち』なんていう軽い言葉で表現したくない友人が私にはたくさんいる。まさに、「おじいちゃんおばあちゃんになっても近くにいたい人」。

ぶっちゃけ、外に伝える名称はなんでもいい。それよりも、相手に「私はあなたとこういう関係で在りたい」と伝えたい。あわよくば、同じ答えが帰ってくることを祈って。

ちょっとでも、あなたの心にひっかかったら。