闘病日記(20240801)

怒りに支配されていた頃の日記を読んで、しんどかろうに、かわいそうに。と思った。
対象は自分であるが、全然自分ではない。
自分とはかくも変わりゆくものなんだと実感する毎日だとありきたりに思う。

抗がん剤が二度終わり、今は血球の回復を待っている。
移植から逆算して8/19には入院しなくてはいけないから、それまでの間に一時退院のできる数値まで回復してくれないと、一度もシャバに出られずに移植を迎えることになるかもしれない。イヤすぎ〜。

記録していない4ヶ月の間に色々あった。
何より、移植に伴って名古屋のデカい病院に転院した。
地元の病院でも出来る手術だったけど、ドナーになってくれる妹の家が名古屋だったので名古屋の病院に引き継いでもらうことにした。

と、毎回言っているけど、それは本当は言い訳で、地元の小さくて設備も比較的少なそうな病院より、デカくて経験豊富な大病院の方がなんとなく安心なのではという心の声に従ったのだった。

地元の病院が骨髄移植手術を始めたのは去年からだった。
ノウハウのある医師が地元の病院に転勤し、人員と設備がしっかりと揃ったからその許可が降りたのだとわかってはいるけど。やっぱり私が生まれる前から移植手術をやっている病院の方がなーんか安心な気がする。というふんわりとした気持ち。
そんなことで病院を変わっていいのか悩んだけど(だからこそ言い訳に妹を使ったりした)結果的に心に従っておいて正解だったと思った。

転院した先の先生は素晴らしい人だった。
前の先生もいい人だったが、それをさらに良くした感じの人だ。
めちゃくちゃな職人。医療行為が上手く、マルクもカテーテルを入れるのも痛みなく一発で決めてくれた。

何よりルートを取る時怯えていた私に「一発で刺しますから大丈夫」と言ってくれた。結果的には3発刺されたけどそんなことは大した問題ではなかった。
私の腕の血管は細い上に全部が見づらい場所にあって、かなり終わっている。5発刺されて結局足からルートを取ったこともある。3発で決まるのはむしろ早い方だ。
そんなことより、先生が私を安心させるために「1発で決める」と宣言してくれたことが嬉しかった。

医療従事者は断定表現を使わない。
患者に対して「治ります!良くなります!」と言えない背景くらい私にもわかる。
治療に対しても、可能性がある以上どんな些細な後遺症や二次障害についても言及するし、最悪の場合の想定についても説明がある。
「効果があります!」ではなく「効果が出る可能性が高いです」と言わなきゃならない事情くらいもちろん汲んでいるつもりではあるけど、それでも「大丈夫です」と言って欲しい時だってある。

もちろん例外はありますが、という言葉を言語外に感じたとしても、言葉を額面通り受け取れないことがお互いわかっている上でそう言って欲しい時がある。
先生は、それが出来る医療従事者だった。

先生はかなり格好良い人だった。
医療行為は職人技で、仕事もめちゃくちゃできた。
髄注でとった髄液を、本来であれば必要のないはずのFISH検査(めっちゃ詳しい精密検査)に何故か出してくれ、そのおかげで極々微量のがん細胞が髄膜内に入り込んでいることも突き止めてくれた。おかげで2回の髄注をするだけでそっちは正常な値に戻った。
よくわからんが、多分医者としての勘が冴えている人なんだろうと思う。

コミュニケーションにも優れた人で、回診では毎回簡潔に要点を説明し、余計な一般知識は入れず前回の結果とだけ比較してくれる。こっちが聞いていないようなことも雑学的に説明してくれる。
軽く生活の雑談をして、その中にごく自然に移植や治療のことも紛れ込ませるような人だった。
治療やその経過が生活に含まれるのが、さも当然であるように思っているのだろうと分かる言い振りで、それが私を落ち着かせてくれた。

余計なことは言わないけど、確実に気にかけてもらっているのが分かり、この人の患者で良かったと心から思った。
多分どの患者とも同じように対等に向き合っているんだろう、とても美しい人だと思う。
どの病院にも先生ガチャはある。この病院でも色んな先生を脇見するけど、その中でも1番のSSRを引いた。こういう幸運にはどんどん感謝していきたい。

そういう良い先生のもとで、とりあえず変わらぬ抗がん剤治療をして、その後前処置と移植をする。
もちろんめちゃ怖い。でも怖がる心が自然なものだと思えるようにはなった。だから安定剤はもう飲んでいない。

何が怖いのかというと「どうなるか分からん」ことが怖いのであって、予定調和的に現れる身体の不調や後遺症は実はたいして怖くない。
初めて抗がん剤やった時と同じなんだと思う。結局なってみないと分からない。
抗がん剤を始める前は吐き気や体への影響が怖くて仕方なかったけれど、やってみれば一番しんどかったのは「子どもに会えないこと」だった。
やってみないと分からん。分からんのに怯えて怖がることは無駄だと分かっている。分かっているけどやめられないのが人間の弱いところだなぁと他人事のように思う。

色々思ったけど、病気は向き合えば治るモンでもないし、向き合わなきゃ治らないってモンでもない。
本当、私には何にも出来ない。病気は医療と身体が治すように頑張る。心もそれに伴って壊れないように頑張る。
それを何も出来ずに見ているのが「私」だ。
もちろん私は病気治れ!と思っているし、心壊れるな!と思っている。でもそれを実際にどうにかするのは体自身であり心自身でしかありえない。

そもそも心も体も「私」では無かったのだと分かった。
重要な気付きだった。

だから私に出来ることは祈ることのみで、私を見守るその他大勢の他者となんら代わりないのだ。そう思うとどーにもならんわの気持ちがより強くなった。諦めでも希望的観測でもない、本当に傍観の気持ち。よろしく頼むぜ、相棒、みたいな気持ち。

とりあえず最近はそんなことを思った。

体は頑張って好中球を上げている最中。心は変わりゆく生活を傍観することに慣れていく最中。
私はそれを応援するもので「来週までに好中球を500作ってくれ、頼むぜ」と通るか分からないオーダーを出し続けるだけの無能な上司である。

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