10年前と重ねて今思う、死ぬこと・生きること

※流産・死産の内容を含みます。


10年前に似ていると思った。


今、「自粛」と聞かない・見ない日はない。

この状況は10年前の宮崎に似ている。


覚えている方はいるだろうか?

2010年、宮崎で口蹄疫(こうていえき)が発生したことを。


口蹄疫の発生が宮崎で確認されたのは、10年前の今頃だった。

2010年春から終息宣言が出される2010年8月下旬まで、宮崎県内は暗い雰囲気に包まれた。



口蹄疫により、非常事態宣言を発令

口蹄疫は牛や豚などに感染する、家畜伝染病だ。伝染力が大変強いのが特徴の1つで、流行すると一気に広がってしまう。

口蹄疫の感染が確認された牧場では、牛や豚をすべて殺処分される。

一時期は毎日のように「◯◯町で新たに感染が確認されました」「牛◯千頭、豚◯万頭が殺処分されました」といったニュースが流れた。


2010年5月18日には、東国原(ひがしこくばる)県知事が非常事態宣言を発令。


不要不急の外出は自粛。イベントは中止・延期。公共施設も休館になり、図書館や総合体育館が休館。動物園も休園になった。

フラッシュバックのように、今の状況と重なる。



私は生まれも育ちも宮崎だ。

10年前は、宮崎市内の喫茶店で働いていた。明らかに客足が遠のき、「今日は20:30で上がっていいよ」と言われる日もあった。閉店は22:00だったので、単純に給料が減った。

でも口蹄疫が発生し、非常事態宣言が出されている以上、仕方がない。


当然ながら、外を出歩く人も、走る車も減った。

感染拡大防止のため、「消毒ポイント」を通る車は強制的に消毒。公共施設やスーパーなどには「消毒マット」が敷かれた。

県内外から自衛隊、警察が駆けつけ、消毒は24時間体制。地面のあちこちが消毒用の石灰で白かった。


殺処分された家畜は、約29万頭。

畜産業をはじめ、さまざまな産業が大打撃を受けた。宮崎県の試算によると、経済的損失は5年間で約2,350億円ともいわれる。


2010年春夏の宮崎は外出を控えつつ、健康な牛や豚が殺される現実、売り上げの減少、差別など、暗い日々に見舞われた。



私はどうしても口蹄疫を忘れられない。

母の出身地、川南(かわみなみ)町が口蹄疫でもっとも被害を受けたのだ。母の同級生には畜産農家の方もいた。


そして母方の母、つまり私の祖母は口蹄疫が広がる中、病院で亡くなった。

お葬式に行くため、私は県外から帰省した弟2人を車に乗せ、川南町へ向かった。川南町内を走っている車は少なく、異様な雰囲気だった。

お葬式は想像していたよりも明るい雰囲気で、久しぶりに会ったおばちゃん達と楽しく話したのをうっすら覚えている。


火葬場へ向かうマイクロバスは、念入りに何度も何度も消毒された。消毒する人は皆、防護服を着ていた。夏だったので、余計に胸が痛かった。



口蹄疫の感染拡大を防ぐため、宮崎県民は不要不急の外出やイベントを約3ヶ月半自粛。県内外の多くの方々が尽力し、無事に終息を迎えた。



死について私が考えてきたこと

口蹄疫で殺処分された家畜は、約29万頭。祖母は口蹄疫が収まっていない中、亡くなった。

10年前、おのずと死について考えた。


口蹄疫終息から約半年後、東日本大震災が起きた。

ニュースを見ては涙が止まらず、「人は急に死ぬこともあるのだ」と思い知らされた。自然の恐ろしさも、よくよく分かった。

近年も地震や台風、豪雨などの自然災害で多くの人が亡くなった。


不慮の事故、事件で急に亡くなる人もいる。

年々、死について考える日が増えている気がする。


誰かが亡くなったと知ったとき、「皆こうして、いつか死んでしまう」と考え込む。「同じ場所にいたのに生き残った人、亡くなった人がいる。この差は何なのか?」と考えることもある。



私の祖父母は、もうこの世にはいない。

父方の母(私の祖母)はヒートショックで亡くなった。祖父のお葬式では淡々としていた父が、祖母のお葬式でボロボロ泣いていたのを今でも忘れられない。

後々、父の涙の理由が明確だったと知る。祖父は長らく入院していたため、いつ亡くなってもおかしくない状態だった。だから、ある程度覚悟ができていた。

しかし祖母はある冬、急に亡くなった。「突然この世を去った」これが父の涙の理由だ。


物心がつくと、「人はいつか死ぬ」と知る。

どんなにお金を稼いでも、何かを成し遂げても、夢があってもなくても、いつか必ず死ぬ。


私が初めてお葬式に行ったのは、高校3年生のとき。祖父(父方の父)が亡くなったときだ。お通夜、お葬式、火葬場、すべて初めて行った。


このとき、私は初めて死について深く考えた。


芸能人の死、見知らぬ人の事故死、漫画のキャラクターの死など、死と無縁だったわけではない。でも、あまり深く考えたことがなかった。

深く考えたとはいっても、高校生の私はせいぜい「お葬式にくる友達は何人ぐらいだろうか?」「私は何歳で死ぬのだろうか?」「ぽっくりと死にたいなあ」と考える程度だ。


死と隣り合わせの今、思うこと

現在、コロナウイルスがあちこちで蔓延している。

今の状況ではもう、いつどこで感染するか分からない。死と隣り合わせだ。


私は現在、ほぼ家にいる。昨年夏から自宅で仕事をしているため、出かけるのはスーパー、コンビニ、ドラッグストアだけ。買い物はなるべくサッと済ませる。

夫は、自宅で行なうのが難しい仕事をしている。これまでと変わらず、徒歩で職場へ出勤する日々が続く。



死と隣り合わせの今、とにかく怖い。今ほど怖いときはなかった。


夫が、母が、弟が、友人が、いつコロナウイルスに感染するか分からない。

スーパーやコンビニで働く方々、荷物を配達する方々、水道や電気の供給に携わる方々も、いつ感染するか分からない。

noteやTwitterでつながっている皆も、いつ感染するか分からない。

もちろん、私だって分からない。


もしかすると感染して死ぬかもしれない。これほど怖いことがあろうか。



この世に産まれたのは、今生きているのは、決して当たり前ではない。


私は、一度だけ妊娠したことがある。でも、赤ちゃんは死産で亡くなった。

妊娠12週以降に出産して胎児が亡くなった場合、厚生労働省は死産と定義している。私は妊娠して約半年後に死産した。


半年もお腹に赤ちゃんがいると、もうはっきり人間だと分かる。エコーで性別は男の子だと判明していた。

死産した男の子は私と同じ一重で、豆粒ほどの男性器がついていた。ほんのわずかな時間、小さな小さな男の子を産み、この手で抱いた。

検査をしたが、死産の原因は分からなかった。原因不明は珍しいことではないそうだ。


死産すると、死亡届を出さなければならない。火葬・埋葬許可証も必要だ。
我が子を火葬するのは、地獄絵図のようだった。


死産するまで、実は「死産」という言葉すら知らなかった。流産の可能性も疑わず、妊娠すれば出産するだろうと思っていた。

しかし、現実は違ったのだ。


最近、死ぬこと、産まれること、生きることについてよく考える。
死産した経験は、この世に産まれた奇跡を思い出させてくれる。




人はいつか死ぬ。これは誰しも平等だ。


ここ数年、私は「人生を楽しみたい」と強く思っている。
いつ死んでも後悔がないように、日々生きていたい。


今は桜がもっとも美しい季節だ。晴れた日には花見をしたい。

だけど、外出を控えるのが最優先だ。まだ死にたくはないし、誰かに迷惑をかけるわけにもいかない。


今年の花見と、今後の人生。比べるまでもなく、今後の人生の方が楽しみは多い。

これからの私の人生、そして他の人の人生も守るため、今できることをやるしかないのだ。


10年前と今、変わったこと・変わっていないこと

世界的にコロナウイルスが蔓延する現在、「10年前とは違う」とひしひしと感じる。

動画配信サービス、クラウドファンディング、オンライン会議ツールの他、さまざまなサービスが普及。10年前と比べて、SNSもだいぶ普及した。


今を乗り越えるために、いろんな人が情報を発信したり、ライブをしたり、漫画を載せたり、寄付を募ったりしている。

ネットで楽しめることは、10年前よりはるかに増えた。自宅で過ごすのが重要な今、非常にありがたい。



しかし、技術がいくら発達し、サービスが普及しても、人間には変わっていない部分もある。

口蹄疫が発生したとき、宮崎ナンバーの車が県外で通行拒否されたと聞いた。コロナウイルスでも似たようなことが起きているらしい。

また、危機感がない人や罵倒する人は、口蹄疫のときにもいた。



音楽は、いい意味で変わらない。
変わらずに多くの人を支えてくれる。


10年前に宮崎で口蹄疫が発生したとき、非常事態宣言により中止になったライブもあった。暗いニュースばかりが増えた。

そんな中、明るいニュースを届けたのが泉谷しげるさんだ。

泉谷さんは口蹄疫復興イベントとして、『水平線の花火と音楽』を発案。
前半は音楽ライブ、後半には花火イリュージョン。口蹄疫で被害に遭った方々を招待し、収益金は口蹄疫義援金として寄付した。


種牛が育つまで7年かかると知った泉谷さんは、イベントを「7年続ける」と宣言。『水平線の花火と音楽』を2010〜2016年まで計7回、本当に開催した。

泉谷さんのこの意気込み、心意気に感動した私は「必ず行こう」と決めた。

イベント当日、会場の前方には畜産農家の方々がいて、誰よりも盛り上がっていた。おそらく、大切に育てた牛を殺処分された方もいるだろう。そう思うと、いたたまれなかった。


GLAYのTERUさん、宮崎出身の今井美樹さんなどが出演したライブは、とても楽しく素晴らしかった。さらに宮崎では珍しい、花火イリュージョン。音楽にあわせて花火があがり、歓声や拍手が度々起こった。

泉谷さんの歌声は、当日初めて聞いた。泉谷さん作詞作曲の『春夏秋冬』を聞いたのも初めて。口蹄疫と重なるかのような歌詞に、心が震えた。皆と一緒に歌ったのは、いい思い出だ。

今日ですべてが終わるさ
今日ですべてが変わる
今日ですべてがむくわれる
今日ですべてが始まるさ
ー『春夏秋冬』



コロナウイルスの影響で、無観客ライブをしたアーティストが何人もいる。いくつか観た。コメント欄には「ありがとう!」「早くライブに行けますように」「元気出た」などの言葉が並ぶ。私もライブに心底救われた。


変わってほしいこと。変わらなくていいこと。

どちらもあるのが人間という生き物なのだろうか?


・ ・ ・


10年前、口蹄疫を宮崎県内に封じ込めようと、皆懸命だった。殺処分された家畜は膨大だったものの、他県に広がることなく、終息を迎えた。


コロナウイルスは人の命に関わる。


感染を拡大させないように日々過ごしてほしい、と強く願う。

生き残るために、たくさんの人が少しでも長生きできるように、不要不急の外出はせず、それぞれができることをやる。



この世に産まれたのは、本当に本当に奇跡なのだ。

むやみに誰かの命を奪ってほしくない。


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