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2月4日 午前2時2分

今日が節分だということも忘れた2月3日18時のバイト中。
鬼は外、福は内、元気よく豆を投げてる子供の声が街に響いた21時半バイト帰り。
季節ごとの行事って家族で過ごして幸せであるべき時間の筈なのに私はこんなにも死にたい夜を過ごしてて、それでも自分の中で季節、という概念は大事にしているつもり、だし、したいし。お豆とか恵方巻きとか、気分と胃の中だけでも節分を感じようと思ってスーパーに寄った。
案の定 恵方巻きもお豆も売れ残りたちが居て、値引きのシールが貼られた子達が並んでた 素直に嬉しい、値引き
値引きされた豆を手に取って喜んだのも束の間、3人家族で仲良く豆まきしてる可愛らしいイラストと共に福豆って書かれたパッケージが目に入ってきた。
うるさい。なにが福豆だ。食べたって福なんて来てくれはしないのに。
1人で食べ切れる量のおひとり様用豆にこれを買ってる人は何人もいるよ、あなたは独りじゃないよ、っていうメッセージが書かれたパッケージの豆、わたしが出してやろうかな。1人で過ごす節分があったっていいだろ。みんながみんな仲良し家族だと思うなよ。
恵方巻きは、わたしは海鮮が食べられないので諦めていたところ、ヒレカツ恵方巻きというものがあった。誰だこれを考えたのは。素晴らしすぎる。即買った。ありがとう。

家に帰ってさっそく食べた。今年の方角が東北東だということは知っていた、バイトで恵方巻きの予約受け付けて散々みてきた東北東の文字。
でも去年、どの方角だか忘れたけどそっちを向いて食べたところで何も1年いいことなんてなかった。なかったよ。
だから向かない、今向いてる方向がたまたま東北東らへんだったらラッキーだな、程度の気持ちで恵方巻きを口にする。恵方巻きは叶えたいことを頭で思い浮かべながら一言も話さないで食べ切るとそれが叶う、なんて言うけど。バイトで見た恵方巻きのパンフレットにも無言チャレンジ!とかいうふざけたこと書いてあったけど。なーにが無言チャレンジだよ、なんで話す前提なんだよ、なんで隣に誰かがいるのが当たり前になってんだよ、辛いからやめて欲しい。
当然のようにひとりで無言のまま食べて、願いなんてないけどしにたいなーと思いながら最後まで食べきった、叶えてくれるかなーー
いつかこんなパッケージにもムカつかないで過ごせる節分が、私にも来るといいな。家族で豆まきしてるイラスト、可愛いじゃんか。福豆っていうネーミングセンスも素敵じゃん。無言チャレンジもみんなで楽しめるちょーいいチャレンジじゃんか。
わたしがあと何年生きてるかも、あと何回人生の中で節分をできるかも分かりませんけど、無言で食べる恵方巻きが苦痛になる日が来て欲しい。

みんなは食べたかな、恵方巻き
あの人との恋が叶いますようにとか、誰かの病気が治りますようにとか、テストでいい点取れますようにとか、願ったのかな
全員の願いが叶うといいね、願いが叶うってほんとにいいことだよねって、去年の願いが叶ってないからこそしみじみ思うよ
今日も生きた、明日もどうせ生きるけど、本当に将来性も何も無いなって最近痛感しまくっててもう無理だ。曖昧であっても周りの人と形が違っても、誰かを愛し誰かに愛される日々で在りますように。私の日々もあなたの日々もね。おやすみなさい、今日はこれから雪降るらしいから、暖かくして寝るんだよ。

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