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デッドラインを越えてゆけ


『あ、いたんですね。課長』

『おぅ。今日は外回りもなかったしな』

久しぶりに出社をすると、課長がデスクに座っていた。

今までだったら、デスクには数人の女子達がいて、窓際の席には部長が座っている。課長や他の営業さん達は大体外回りに出ていて、ほとんど会社にはおらず、たまに使う用のデスクとして空席が何個かある。

なので、その席に誰かが座っているのを見たのは久しぶりだった。ほとんどテレワークの仕事になり、たまにある出社日はフレックスにしていたから、私が出勤するとほぼその席は誰もいない状態であった。

『静かですね。』

がらんとしたオフィス。

いつもだったら、喧騒でひしめき合っていた空間なのに、そこは嘘みたいに静まり返っていた。

引っ越しが決まって、まっさらになってしまった部屋を見た時の、あの心に隙間があいてしまったような気持ちに似ている。

私は何とかその隙間を埋めようと、課長に話しかけてみた。

『なんだか、全然別の会社に来ちゃったみたいです』

ちょっとおどけたように言ってみると

『まぁ、色んなもんが変わっちゃったもんなぁ』

と、課長は少しだけ物思いにふけった様子でそう言った。

『課長は何か変わったことあります?』

なんで自分がそんな事聞いてしまったのかわからないけど、咄嗟にそう質問してしまった。

『ん?俺??』

キョトンとした顔を浮かべた後、少しだけ照れくさそうに頭をかいた。

『実はさぁ、自粛期間の時からまた脚本を書き始めたんだ。』

『脚本??ですか??』

思わず声がひっくり返ってしまった。だって、いつもの課長からは、脚本を書くなんて全くイメージできなかったから。

『意外だろ?俺、昔は脚本家になりたかったんだよ。』

私の失礼な態度をたしなめるでもなく、課長は話を続けた。

『昔は結構頑張って書いててさ。入賞したこともあったんだよな。よし、これで食べていくぞ!なんて盛り上がってたんだけど、その時付き合ってた彼女が妊娠してさ。』

ふーっと小さいため息をついたあと、課長はまた話し始めた。

『ま、それが今のカミさんなんだけど。妊娠がわかってから「脚本なんて書いてる場合じゃねぇや」って急いで就活して、何とか職につけてさ。もうそこからがむしゃらに働いて家族を養ってきたんだけど、頭のどっかには脚本の事が残ってたんだろうな。』

そう言って、課長は椅子の背もたれにギッと寄りかかった。

『自粛期間なんて、今まで生きてきて始めての事だったから、最初は何して良いかわからなくて。ゴロゴロ寝てばっかりだったけど、ある日ふと思い出したんだよ。「あ、俺脚本書きたかったんだっけ」ってさ。最初は何書いて良いかわからなくて暫く悩んでたんだけど、いざ書き始めたら筆が進む進む。そこで、やっぱり脚本書くの楽しいなって思ったんだよな。』

背もたれに寄りかかったまま、課長は天井を見あげた。

                        ◆

私はその話をじっと聞いていた。

そして、色々な思い出が甦ってきた。

昔の私は、やりたい仕事があったこと。その気持ちに真っ直ぐだったこと。学校に行ったり、本を読んで勉強してみたり、ひたすらにその道に向かっていたこと。

いつしか、その夢と日常の間に【デッドライン】をひいて、夢から背を向けてしまったこと。

安定の日常を手に入れた代わりに、心の隙間が小さい声で呼んでいるのを聴こえないふりをしていたこと。

課長も言っていたように、日常生活に重みが加わると、夢にまで手が届かなくなる時期があるのだと思う。ただ、本気で夢を追う人ならば、その隙間をぬってでも夢へ足を進められるのではないだろうか。

私は自分で勝手に自分の【デッドライン】を引いてしまった。

そして無理矢理に日常から夢を剥がしてしまった。

                        ◆

今、未曾有の緊急事態が起こり、大多数の人が自粛期間で長期の休暇を余儀なくされた。

今まで、安心して歩んでいた日常生活からひょいと持ち上げられて、急に真っ白な空間に放り出されたかのようだった。

先の見えない不安と、有り余った時間をどう消化して良いのかわからない困惑で、刻々と時間は過ぎていった。


ある日。

それは本当にある日突然だった。

私はついに思い出したのだ。

『あ、私やりたかった事があったんだ』


その瞬間、私はデッドラインを飛び越えていた。

夢に向かって再び自分の足が動き出したのだ。

ゆっくりとスマホに文字を入力していく。ドキドキするけど、また夢と対峙することができたのが何よりも嬉しくて、私は夢中で物語を書いた。

                       ◇

『そういえば、◯◯は何か変わったことあったのか?』

急に課長に話しかけられて、私はハッとなった。暫くぼんやりと思索してしまっていたらしい。

『あのう。。』

おずおずと私は課長に話し始める。

『実は、今¨note¨っていうツールで物語を書き始めたんです』















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