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月を眺めるようなこころで


鏡をまっすぐ覗き込んで、映った人と視線を合わせるとき、月を眺めるようなこころでいてもいいのではないか。

手入れがなかなかうまくいかない自宅の庭を眺めて、「ここもだめ、そこもだめ」と点検するような、そんな厳しさがなくたって、案外問題ないのではないか。

欠ける。消える。
陰りもする。
暗い裏面をもっている。
日々変化して安定しない。
ひと月の間で、完璧なのは1日だけ。

そんな月のことを、人は素直な気持ちで「美しい」と言える。

半分以上が欠損して見える姿にさえ、大昔の誰かは「繊月」「月の剣」などと特別な名を与え、古来その美は讃えられてきた。

月を愛せるこころは、不完全なものを素直に愛せるこころなのではないか。
不完全と完璧を背反としない優美なものさしのような。

それを人間相手にも差し伸べることができたのなら、私たちはきっと、この世界の多くを赦せるようになる。
自分のことも、他人のことも、もっと健やかに愛せるようになるのだろう。

空に月を見つけたとき、胸のなかに生まれる小さなよろびは、チャンスを知らせるチャイムのようなものかもしれない。

「自分はもっと多くのものを好きになれるかもしれない」という、可能性に気づくチャンスを。

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