100日後に死ぬ留学生
なんだこのタイトル、と思われるかもしれないが、分かる人も多いのではないだろうか。「100日後に死ぬワニ」という最近話題のTwitter漫画が元ネタだ。これは100日後に死ぬワニの日常の漫画を毎日淡々とアップする企画(?)で、コンセプトとして中々興味深い。気になる人はTwitterで検索してください。
とはいえ、これはワニを宣伝するためのnoteではない。
私は2020年3月18日現在、ポーランドに留学中の身だ。昨年9月末にこの国に来て、2セメスター、つまり一年間の留学を予定していた(休暇があるので実際は九か月)。それが、今まさに揺らいでいる。予定していた6月を待たずに、今月中にでも帰国しなければならない可能性が出できたのだ。もうお分かりだろう、その原因は世の中を騒がせている新型コロナウイルスだ。
この忌々しい菌のパンデミック、それがもたらす様々な影響があらゆる面で社会に打撃を与えていることは言うまでもない。アジアより遅れて感染拡大が始まったヨーロッパでも、今まさに遅ればせながらも国境封鎖などの対策が打ち出されている。二日前には、外務省が発表している感染症危険情報でポーランドを含むヨーロッパ広域が危険度レベル2に引き上げられた。これには驚いた。ドイツ、フランス、スペイン等はその数日前にレベル1に指定されていたが、私が滞在するポーランドは危険度指定がされていなかったからだ。つまり、レベル1を飛び越して突然レベル2に指定されたということで、出先でこの情報を知った私はびっくりしてしまった。その日の時点でのポーランドにおけるコロナウイルス感染者は150人ほどで、ドイツやフランスの感染者数とは桁が一つ違っていた(ポーランドの感染者の方が圧倒的に少なかった)。
加えて、数日前に大学から「危険度がレベル2に指定された場合、帰国又は安全な地域への移動を要請する」旨のメールを受け取っていた。
おっと?これは……?にわかにざわつく同期ラインとTwitterのTL。しかし、この時点では我々にはどうすることもできない。なぜならば、ポーランドは既に15日から国外との移動に大幅な制限をかけていたからだ。飛行機、鉄道の国際線を停止。隣国も移動に制限をかけ始め、国境を越えられるのはドイツとの間だけ。大使館からは越境可能地点の情報が送られてくる始末だ。なんてこった。中には徒歩のみ越境できる地点もあったが、重たい荷物を引きずって徒歩で越境なんて普通に嫌だ。それに国境地帯はひどい渋滞。(まあそうなるだろうという感じではあるが)バスになんて乗ろうものなら密閉空間に長時間閉じ込められることになり、それこそ感染リスクが高い。現実的に考えて、ポーランドから出る手段がない状態だ。幸いフランスのように外出制限はかかっていないので、買い出しや散歩程度の外出なら可能だ。外出したところで開いているのはスーパーマーケットや薬局など、ごく限られた店のみだけれど。学校も11日から24日までの休みが言い渡されており、もう自宅待機以外何もできない状態だ。
そんなところへ、危険度の引き上げ、さらには広がるEU域内・域外移動規制。帰って来いと言われてもその手段がないからなぁという感じで、その日は眠った。眠ったのだが、なぜか夜中の2時半に目が覚めてしまい、ひとしきりゲームやTwitterをして楽しく遊んでいた。しかし3時50分頃、同期の一人に大学からメールが届いた。(という連絡を受けた。)10分後に私にも届いたそのメールは、「留学を中断、もしくは中止して日本への帰国を要請」するものだった。なんてこった。なんてっこった。遂に受け取ってしまったというショックと動揺ですっかり眠るタイミングを逃してしまった。実際出国の手段がないのは変わらないのだが、このメールが来たことで本格的に帰国について考えなくてはいけなくなってしまった。国際線が再開するのは早くて29日。大学の休みはひとまず24日までだが、状況を鑑みると十中八九授業休止期間は伸びるだろう。そもそもヨーロッパでの感染拡大はこれからがピークを迎える時期にあり、いつ事態が収束するのか全く分からない。
先週、2週間の授業停止を知らされた時はまさか一週間後に帰国を検討することになるとは思いしなかったし、ちょっと大げさだなとすら感じた。それがここ数日で事態が転がるように動いて、気がついたら帰国の二文字が目の前に迫っている。 あまりにも急展開で、心がどうにも追いつかない。
こんな状況で家に籠っていると、後悔することが実に多い。あの博物館に行っておけば良かった、あのカフェに入ってみればよかった、等々。いつでも行けると思っていた場所も、時間なら無限にあるのに、すぐ近くにあるのに、もう行けないまま帰るのかもしれないと思うと何ともやるせない。
私は旅行が好きで、「行けるときに行きたいところに行け」をモットーにしているので、行きたくて仕方なかった国には留学上半期であらかた旅行していた。海外だとベルリン、コペンハーゲン、パリ、ローマ、フィレンツェ。国内旅行も度々した。多少予定を詰めすぎたたと感じた時もあったし、ポーランドと比べたらどの都市もとにかく物価が高くて、旅行のたびに日本の口座からどんどん残高が減っていくのは悲しかったけれど、今しかない、日本から来たらもっと高いぞと自分に言い聞かせて積極的に旅行をした。
結果論だけれど、前半で旅行をたくさんしておいて本当に良かったと強く思う。だって留学後半はなくなってしまいそうだし、あったとしても旅行どころではないのだから。ここへ来て自分の信念は正しかったと確信した。何か望みがあるのなら、早急に実行に移すべきだ。食べたいものは食べて、行きたいところに行って、会いたい人に会って、欲しいものは買って、生きたいように生きるべきだ。もちろん可能な範囲で、だけれど。私は常々「死ぬ前に行きたい場所に早く行かなきゃ」という気持ちでいたが、逆もあり得るのだと気づいた。私が死ぬまで私の生きたかった場所がずっとアクセス可能な状態であるとは限らない。
昨年、首里城が全焼してしまったことは記憶に新しい。まさか今の時代に焼失するなんて、と信じられない思いだったが、この時に気づいた。確かで揺るぎないように見えるものも、実はたまたま存在しているだけで、失われるのは一瞬だ。そして、その瞬間がいつなのかは誰にも分からない。私がローマ、フィレンツェを旅行したのはイタリアでの感染が確認される少し前だった。
昨年9月末、日本を出国するときはまさか自分が途中で帰国するとは思わなかったし、12月11日に100日後に死ぬワニがスタートした時点で、まさかまさかワニの命と共に自分の留学生活も終わるだなんて、予想だにしなかった。100日後に死ぬなんてかわいそうだな~と思っていた留学生も100日後には帰国要請を受け、出国便の復活を待ち自宅待機しているのだ。残り時間は目に見えない。終わりは驚くほど呆気なく訪れる。クラシック音楽のように、漫画や小説のように、壮大なクライマックスなんて用意されていない。人生って何があるか分からないですね。
もちろん留学を中断して帰国なんて嫌なのだが、ここまで事態が急変し先が見えない以上、帰国できるうちに帰国するのが賢明な気もしてくる。感染リスクだけではなく、移動制限や入国拒否などのリスク、大学再開の見込みなど、不確定な要素を全て考慮して考えなくてはならない。他の留学生たちが志半ばで続々と帰国を決めているのを見るのも、とても辛い。留学は、学業という枠組みを超えて、生活そのものですらある。彼らの生活は少なくとも数年前から留学を組み込んで回ってきたのであり、途中帰国は人生設計の一部が崩れたに等しい。先行きが全く分からない中、残りたい気持ちとリスクを天秤に掛け、荷造りや各種手続きに追われ、不安と焦りの中でストレスを感じながら帰国する彼らが、せめてそれぞれ帰った先で心穏やかに過ごせるように祈るばかりだ。そのような人が周りにいたら、どうか彼らの心中を察して、丁寧に接してあげてほしいと思う。
以上、100日後に死ぬワニと同時に、むしろ少し先に死んだ留学生の近況でした。この騒動がなるべく早く収束し、悲しい思いや苦しい気持ちになる人がこれ以上増えませんように。
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