障がいという個性を持つ人を尊敬できるか?

私達は宿命を自ら決めて生まれてきた

生まれる前、肉体を持たないたましいは、今世の目的を決めてきます。それが宿命です。
時代、性別、国、地域、両親、障がい等を自ら選んできます。そこに人生のテーマを見出すためです。
やり残したことのあるたましいは、前世と同じ条件を選ぶ場合もあるでしょう。
前世で貧困を経験したから今度は裕福な家庭を選ぶ場合もあるでしょう。しかしそこに物質的な欲得はございません。あるとしたらたましいの学びとして、必要か否かです。
あの世に名誉もお金も持って帰れないのですから、持って帰れるのは経験と感動のみ。様々な条件、役柄を経験することで、類魂としての愛を学ぶのです。

「自分をえらんで生まれてきたよ」

残念ながら紙の本は絶版のようですが、データで販売されています。
生まれる前の記憶を小学生のいんやくりお君が話した内容です。生まれながら病弱で、その病気を自ら選んで生まれてきたと記されています。
これはスピリチュアリズムの考えと一致します。
つまり、重度の障がいも自ら選んで生まれて来ているということです。もちろん、障がいという個性を持つ自分をしっかり育ててくれると認識して両親も選ぶわけです。
ですから、親は障がい児を産んで後悔も罪悪感も必要ないのです。スピリチュアリズムに救われた人も多く存在します。

自閉的で、発語もなく、落ち着きもなく、コミュニケーションがとれなくても

たましいの視点でみれば、愛されることを経験したり、逆に差別や偏見を経験するために、自ら大きな負荷を抱えて生まれて来たと言えます。そう言った、大きな視座に立つと私は、障がい者に対して、尊敬の念を抱くのです。
確かに植松被告の言うように、物質的な生産性はないのでしょう、しかしちゃんと貴重な経験と感動は生産しているのです。それは、霊界に帰ったときに、グループソウルへのお土産となるのです。

愛される学びと愛する学び

では健常者と言われる私の学びとは、自ら負荷を抱えて生まれて来た、尊い命やたましいを愛するという経験だと思うのです。今世では愛する側を経験する、しかし来世はもしかしたら愛される学びを経験するのかもしれない。そのような妄想を持ちながら、今世の旅を続けています。

さらに重度障がい者を理解するために

重度障がい者は、なかなかコミュニケーションが取れないために、相手への理解も深まらず、対応方法も間違ったり、雑になったりします。
私はこっそり霊視を試みます。これはあくまでも主観的心霊現象ですから、この内容を支援会議で表明することはありませんが、理解を深めて自分の支援や対応方法の質が高まればと考えています。

「前世は戦に明け暮れていました。今世では障がいという鎧をつけて生まれて来ました」

こんなメッセージをいただきました。前世で何人殺して、どのような死に方をしたのかは存じませんが、今世だけで視ては理解は深まりません。前世や前前世を含めてその人を理解することが必要であると感じます。すべてたましいの物語は繋がっているということ。その人の、これまでのたましいとしての経験と感動を理解することが、質の高い支援に繋がると思うのです。
余談ですが実際この方は女性ですが、機嫌が悪くなると、すぐに者を投げたり、他害行為がでます。
ジャンヌダルクのように勇敢に戦っていたのでしょうか。
この方の学び多き人生に立ち会えたこと、支援できたことに感謝します。



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