「身体は汚れても、たましいは汚れていません」


#自分にとって大切なこと

江原啓之氏が性的犯罪に遭われた女性に伝えた言葉です。

私は男性なので、言葉で彼女が癒やされたのか、救われたのか解りませんが、もし私が女性で同じ被害に遭ったのであれば、多分救われたのではないかと想像します。あくまでも仮定の話ですが。

「人間はみなたましいの存在なのです。肉体を失っても存在し続けるのがたましいです。ですからたましいの存在に気づく事が大切で、つまり人生はたましいの成長を目的にしているとも言えるのです」

たましいは心を司ると言われています。つまり心の奥にあるもの捉えることでしょうか。心理学ではスキーマという領域がありますが、それに近いのではと考えます。

たましいは過去世からのトラウマや思いぐせやあの世の記憶を含有しているとも言えます。ですから、霊やあの世を信じていない人にとっては、なかなかアクセスできない領域であると認識できます。

先ほどTBSの報道特集という番組で「親からの性的虐待」をテーマに、大人になってもなお苦しんでいる女性を取り上げていた。その女性は誰にも相談できず、苦悩続けてきて、やっと裁判を起こし刑罰を受けさせて、法律の成立にも尽力されていました。親を犯罪者として訴える孤独。

苦しみから立ち直ったきっかけは「同じように苦しんでいる人のため」という利他愛でした。実名で顔を出して活動を続ける勇気と愛。彼女のこれからの人生が幸せになることを祈ります。

たましいとは利他愛とも言い換えることが出来ます。あの世は肉体のない世界。つまり病気もなければお金や仕事をしなくても生きていけるのです。ですからあの世ではたましいとして、100%利他愛でも存在できるのです。

たましいの存在に気がつかなくても、利他愛に生きることを厭わない人がいる。例えば、アルコールや薬物の当事者会での活動も「自分の経験が苦しんでいる人の役に立てば」と思った人々によって成り立っています。つまり利他愛が自分自身を救うのです。ですから自分を苦しめているのは利己心と言えることが出来ます。

スピリチュアリズムは利他愛を大事にします。では利他愛とは何でしょう?

次回に譲ります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?