嫌われたくない、いい人と思われたい

どの人の心にもあるのではないでしょうか?これも自己愛です。この感情が強い人の生育歴を紐解くと「親から愛されなかった」と感じながら育ったようです。親からの愛の代償を大人になって恋人や友達や職場で発揮されて、DVやハラスメントの温床にもなります。

一見、相手のための行動であっても、よくよく考察すると自己愛を満たすための行為だった。ということはよくあることです。「お金を貸す」という行為も、ほどんどが自己愛で貸すことが多いです。「頼まれたら断れない性格なんです」いい人のようですが、根底にあるのは自己愛であり、断る勇気、嫌われてもいいと思えることが大切な場合もあるのです。

その判断の基準は何でしょう。やはりここでも相手の自律を考えて行動出来るかどうかです。相手を自分に依存させるのであれば、それは自己愛になるのです。しかし、時には依存させる事も必要な場面もあるでしょう。命の危機にさらされている事態など。しかし、リストカットをして常に自分の危機をアピールしてくるパーソナリティ障がいの方への対応は本当に難しいモノです。その見極めも大切です。

では自律するとはどんな心境でしょうか。一言で言えば、自分の中に神を見いだすこと。私は内なる神を読んでいますが、守護霊と認識されているスピリチュアリストもいます。もっと具体的に言うと「内なる神と対話ができること」なのです。つまり、依存する他者が必要ない状態です。問題や課題はあっても、悩みがない状態です。この領域に行くまでには、スピリチュアリズムを理解して実践して経験と感動を積む必要があります。

経験と感動はたましいに刻まれるので、前世からも引き継いでいます。ですから、この世の年齢ではないのです。「内なる神と対話」ができるので、自らの悩みは自らで解決できることになります。孤独はなく孤高と言えるでしょう。生きている人間とは腹六分の関係性でも、内なる神と繋がっているのでさみしくなく、何も問題はないのです。

では、スピリチュアリズムを理解するとはどういうことでしょうか。

次回に譲ります。

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