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強運という名の罠

その昔自分を強運だと豪語する女性がいた。


まぁ自分で言う分にはいいけど
その強運の内容が私の思う強運とは
だいぶかけ離れていて興味深かったのを覚えている。


その人とは随分前にご縁の賞味期限が切れてしまって
疎遠になってしまっているのだけど
その人から聞いた話が
置き土産のように私の記憶に残っている。
プライバシーに抵触するので
若干内容を変更してお届けしたい。


その人は若い時にどうしても上京したいと思っていて
でもお金もない、仕事もいつやめようかと考え中
どうしたもんかなと思っていた時に
たまたま転勤の話が出たそうだ。


これは千載一遇のチャンスと
やめようとしているのに
転勤に飛びつき東京行きのチャンスを掴んだ。


社宅扱いになるはずの家が
なぜだか自分名義の借家となり
契約は自分で済ませ、費用は会社負担。
1ヶ月も経たないうちに辞職したそう。


でも、家は自分名義で借りていたから
その流れでその旧社宅はそのまま自分が借り続け
会社とは縁が綺麗に切れたと
生き生きとしながら話してくれたのだが・・・


私はすごく運がいいと思う!
夢が叶った!!


と意気揚々と話していたその内容に
私は違和感しか覚えなかった。


言語化するとすごく乱暴になるのだが
そんなに第三者から奪うことに成功したことが
強運なんだろうか??


まぁどんな形だって夢を叶えるんだ!
という見方もあるが
なんとなく釈然としない。


なんというか、私の感覚で言うと
美しくない。


私が思う強運とは
自分を含む相手も社会も良しであることだと
思っているからかもしれない。


自分だけ助かった!とか
自分だけ儲かった!とか
自分だけ精神は
私の持論から行くと不運扱いのカテゴリーになる。


どういう生き方をしたいか?
によっても強運、不運の定義も異なると思うし
どう解釈するか?によっても
随分と印象も異なる気がする。


例えばもし
私は東京でやるべきことがあった!
どうしても上京へ踏み切れない私に
人生の流れが信じられない形で背中を押してくれた。
だから私は今、その時のことを胸に
精一杯関わる人に恩返しをしたいんだ!


みたいなことなら
私はおお〜っ✨となったかもしれない。
けど、そこに「自分だけよし」だけしか見えてこなくて
そこになんだか残念感を感じたのかもしれない。


起こった出来事は無色透明であり
解釈は各々がつけていくわけだけど


前述の解釈だと
ただただ「奪う人」という印象が否めない。
実際私はこの人と接する時に
いつもなんだか奪われている感が拭えなかった。


強運だ!!!と
うそぶく(大きな事を言う。豪語する)のはいいけれど
そのこころは?の解釈で
その人の器というか、在り方のようなものが
垣間見れてしまうことまでは考えた方がいいよな・・・と
思ったりしている。


思わぬところで人間性がバレてしまう
強運伝説。


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