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ペットロスをどう乗り越えたのか。について

実は私ごとだけれど
先日我が娘(犬)が
お空に帰った。


2ヶ月後に16歳になる予定だった
15歳と300日ちょっとで
お空に帰って行った。


病気でもなんでもなくて
本当に老衰。


なくなる一週間前くらいから
だんだんと食が細くなって
ついには食べなくなり
必要な水だけを飲んで
排泄するばかりだった。


この子は本当に自分の
タイミングでお空に帰るんだな〜と
その様子を不思議だったけれど
結構静かな気持ちで
見守っていた。


お空に帰った日は
朝からもう意識が朦朧としていて
寝返りを打つこともできず
私が1時間おきに向きを変えたりしていたのだけど
何度目かの寝返りの時に
娘はコテっとお空に帰って行った。


あっ!死んだ!!


私はちょっと大きめの声で
独り言のように言った。
リビングには仕事の合間で
休んでいた夫もいて、
息子たち(3匹)もいて
彼女は本当にみんなに見送られて
お空にバイバーイ!と
軽やかに帰って行ったのだ。


もちろん私は涙が止まらなかったけれど
不思議と一つの後悔はなかった。


彼女にしてあげれることは
自分の中で最大限していたし
5歳の時に下半身が不随になって
車椅子まで作ったけれど
漢方で奇跡的に完治して
走れるまでになったり


大腸癌や尿路結石
腎臓病と病院では数々サジを投げられたけれど
遠い長崎の医療気功で処方してくれる
漢方薬で彼女は多くの山場を乗り越えた。


そして最後は穏やかに老衰。
しかも私が抱き上げたタイミングで。


もちろん悲しいし
寂しいが、あんなに穏やかに
幸せそうに眠るように
お空に帰って行ったのを見ると
あっぱれとしか言いようがなく
私は本当に、やり遂げた感でいっぱいだった。


少し時間がたった今でも
ロスってはおらず
いつもの平穏を過ごしている。


寂しいけれど
悲しくはない。


全うしたのだ。
それを見守ることができた。
娘より私がさきに逝かなくてよかったと
本当に思った。




ただ一つ、
骨壺の入れ物がどうも可愛くなくて
私の美的センスには合わない。
取り出して可愛い風呂敷に
包み直したりした。


骨は地元でよく遊んだ海に
散骨しようと思っている。


一つの命が終わるのを目の当たりにして
命って本当に有限なんだなと
しみじみ思ったりもした。


あの時ああしておけばよかった
めんどくさい
今はしなくていい
また機会が来る
お金が、時間がと何かのせいにしてこなかった。


もちろん、自分が手に負える範囲の
話ではあるけれど。


そんな先送りにする気持ちが
きっと後悔を生む。


なぜなら私はそれをしてこなかったから
後悔は全然ない。

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