見出し画像

恥ずかしさの絶大な効果

昨今、目が飛び出るような事件から
小さな出来事までさまざま起きているけど
一つの仮説がたった。


例えばクレーム。


自分の主張だけを立派に言う人がいるが
あれは私からすると結構恥ずかしい。


自分の不注意だったり
理解力が不足していたり
解釈を偏りすぎて捉えてしまったり


自分を振り返るところはないのか?
と思うことがよくある。



本当の意味のクレームからは
ずいぶんかけ離れてるように思うし
クレームではなく、言いがかりだなぁと
側から見てて思うことも良くある。



電車の中の化粧もそう。


あれを自分の好きな人の前でするのか?
といえば多分しない。


恥という感覚が欠如しているのか
隠しているのかわからないが
ないからこそできること。



金持ち喧嘩せず


と言う言葉があるが
この言葉に集約されているように思う。



賢い人は無駄に争ったりしない。
揉め事を起こすこともしない。



自分に余裕がある人は
人を気遣うこともできるし
自分も他人も労わることができる。



計算づくならよいが
その時の感情や後先考えずに
物事を進めてしまうということに
「恥」と言う感覚が欠如しているのでは?
と思ったりもした。



自分が正しいと思い込んだり
自分の知ってること以外を認めなかったり
世界を広げずに
他人を突くというのも
恥ずかしいことこの上ない。



世界は自分が思うより
ずっとずっと広いのだしね。


こんなことしたら恥ずかしい。
こんな自分は恥ずかしい。



誰にではなく、自分の自尊心的な部分。



恥ずかしいって
結構自制心を保つのに
すごい役に立ってるのかも
と思ったりもした。


恥ずかしいって言う感覚がないと
平気で人前でおならしたり
ゲップしたり、だらしなかったり。



と言う私も結局は
そういう「恥」という世界観に
毒されているのかもしれないけどね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?