人をアゴで使う人

世の中には育ちのせいか
人をアゴで使う人がいる。
なんの悪意もない。


お金を渡せば良い
何かお礼をすればよい


そうすれば相手だって
喜ぶんじゃないか?

そんな風に思っているのかもしれない。


何かしてもらうことを当たり前だと思い
人の時間や都合を無視して
人をアゴで使う人種が
悲しいけど存在する。


しかし育ちというのはなかなか厳しく
それを客観視できない。
それが当たり前になっているからだ。


頼るという言い方もできるが
甘えとなることもあり
依存となることもあるし
アゴで使うことになることだってある。

自分が動かず
人に動いてもらうことが当たり前。


困ってるんだから助けるのが当然だろ?
が信念だったり。



私は人に何かを頼む
ということを滅多にしない。
がよく人に何か頼まれる。


知らない人に道を尋ねられることから始まり
いろんな重要な面で
大変な役割を頼まれることもある。



頼られるのは嫌ではないと思っていたが
それを懇意に受け続けていると
人はそれが当たり前になり
何かの拍子に
断った時にとんでもなく私が悪者になることがある。
くわばらくわばら。



できることは全部自分で済ませたいと思う。
学生時代まで遡ると
どこかについてきてくれ
ということも特にしなかった。


自立した同志の関係性がいい。


もちろん必要な時に
頼る頼られるはありだけど
いないと困るレベルは
依存の始まりだからね。


















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