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人に興味がない人たち

世の中には、本当に人に興味がない人が
存在する。


その中には人にどう思われてもいいという人もいて
社会生活においては本当に厄介。


私が正解なわけではないけど
一応マンツーマンで会話した人は
会話も含めて大体覚えている。


髪型とか洋服とか
話してた内容とか。



それは私なりの礼儀でもあって
量子力学的に考えると
人に観察されること(存在認識)で人は存在できる
みたいな理論を採用しているからだ。



要するに私という存在は
誰かの認識で初めて存在することができる
と思っているから
覚えていてもらえたり
記憶に留めてもらえると
本当に嬉しいのだ。


いつの日だったか、
全く知らない町に降り立った時
たくさん人はいるのに
なんだか私は生きてない気がした。


ここに私がいることを
認識してくれる人はいないんだ
と思った時にものすごく孤独を感じたことがある。


そう言う経緯もあって
関わった人には興味を持つ
と言うことを自らしているわけだが。


人に興味がない人は
量子力学的観点からいうと
その人の中で存在してないことになる。
つまり生きてない。


んー。


とはいえ
人生の中で関わってる人もいるわけで
全員とは言わないだろうけど
端的に興味を持つ人もいるだろうし。



興味がないって
なんていうか
間接的に殺されてる気分になる。
殺されてるって言うか
生かされてないって言うか。



だから本に書かれているような
雑談テクニックで
表面上は話をしているように思える状況でも
興味を持ってもらって話をしてないのがわかるから
だから私は息苦しくなるのだなと
今わかった気がする。


興味を持ってもらえるようになるのか
興味を持つようにするのか



うーん。

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