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君から見た風景

私は小学生の時とても負けん気が強く、人の成功を素直に喜べなかった。
相手の中に自分より劣っている部分はないかと探すようなひねくれた人間だった。

同級生の加奈子は勉強も運動も私より少し劣っていた。しかし、とても人当たりがいい子だった。
誰に対しても優しく、怒っている所も見たコトがなかった。

勉強も運動も僅差で私の方が勝っているはずなのに、なぜか私はいつも加奈子に対して得も言われぬ劣等感を抱いていた。


運動会の徒競走で加奈子と同じチームになった。
練習ではいつも私が1位を取っていたので本番だって勝てると思っていたが、運動会当日、スタートしてすぐに私は躓いた。

ほんの一瞬だった。

躓いて転げる瞬間だった。
すぐ隣にいる加奈子の服を掴んで、一緒に転げた。

周りから見ると無意識に取った行動に見えるものだったが、私は意識的に加奈子の服を掴んだ。
私はそれほど加奈子に負けたくなかったのだ。


高校生になり、小学生の頃なんでも人並み以上に出来ていた自分はもう居なくなっていた。どう頑張っても中の中程度で、人よりも秀でているものも、誇れるものがなくなっていた。

小学生の頃の負けず嫌い精神なんて、出したところで誰にもかなわないと自分の限界を理解し、達観し、悟ったような気になっていた。

加奈子とは中学に上がったあとになんとなく疎遠になっていき、高校は全く違うところへ進学した。

ある日、加奈子が進学した高校でいじめられて別の高校へ編入したという話を聞き、少し心配しつつ私よりも成功していない加奈子を想像し安堵した。

それから1年たち、今度は私のほうが学校の友達とケンカし孤立するような形になってしまっていた。学校内で一人でいる自分がみじめで仕方なく、ふと加奈子のことを思い出し久しぶりに連絡を取ることにした。

加奈子は二つ返事で私と会ってくれ、以前聞いた噂はその通りだということを教えてくれた。しかし今は楽しく過ごしていて、彼氏もできたことを嬉しそうに話してくれた。

みじめな自分を慰めるために会いに来たのに、加奈子は全くみじめな人間ではなかった。

負けた、負けた、と心の中がくやしさで溢れた。

悔し紛れに、今まで怒ったところを見たことの無い加奈子の少しでも顔をゆがめるところが見たくなり、昔話のつもりであの運動会での話をした。

「あれ、実はわざとだったんだよね」
と悪気なく話す私に

「知ってたよ」
とけらけらと満面の笑みの加奈子が答えた。

とても驚いた。
だってあの時、加奈子はそんな様子を全くださず、私に向かって「大丈夫!?」とすぐさま心配の声を掛けてくれたから。
逆だったら私は怒り狂っていただろう。

まさか知っていたなんて…。

その日初めて私は素直に加奈子に謝った。

そしてこの子には敵わないと素直に負けを認めた。

負けた。
これは、認めるべきだ。

だが加奈子の勝利によって、私は加奈子を失わずに済んだ。
加奈子には私がどんな風に映っているのだろう。



【補足】


上記のものは、コルクラボ漫画専科という講義の中で、太宰治の「黄金風景」の型を借りて作成した短編小説です。


自分の「負けた経験」を題材にしている創作物であり実体験ではありません。


初めて小説というものを書いてみて、60分間という短い時間で完成まで持っていかなければいけなかったので、とても拙いものになっていると思うのですが、頑張ったら、型を借りれば、この程度は作ることは出来るのだという自信にもなりました。


講義での出来事で、小説を書いて、その後発表のばが設けられていたのですが、「タイトルを必ずつける」ということをすっぽりと抜け落ちていて、発表前にあわててとりあえずのタイトルを付けて

「みんなの発表を聞いている間にちゃんと考えよう」と思っていたら、まさかの2番手でとりあえずのタイトルをつけておいて良かったと心底思ったのがいい思い出です。(既に風化しつつある)


こちらに載せているタイトルは改めて考えたものです。あと文章も少しだけ加筆修正してます。


読んでいただければ幸せます。


ではまた


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