眼球にくちづけを。中野視点10話

私の眼は幸いな事に、全く後遺症は残らなかった。それでも、
退院後には何度も経過観察で病院に行かないといけないのが煩わしい。
退院してから私はある行動をとった。働いていた盲学校を辞め、
一人暮らしをしている真田君の家に突入したのだ。
だって、片時たりとも離れたくないし、彼はダメって言わないはずだ。
彼の優しさにつけこむのは気が引けるが自分の気持ちを偽りたくない。
「ほんまに大丈夫なん?お父さんとかちゃんと説得した?」
両親は意外とあっさり了承してくれた。
たぶん、彼が5年間私の為にしてくれた事を知っているから
信用しているのだと思う。
「なんなん、私が来るのがそんなにいやなん?」
彼はずっと不安そうに聞いてくる。
「そうじゃなくて段取り踏んでいかんと。」
段取り?いまさらそんなの踏めるわけがない。
「5年間も我慢してきたのに、段取りなんて踏んでいけませーん。」
そういいながら持ってきた荷物を勝手に片付けている。
全然止めないからきっと大丈夫なんだろう。
二人では、ちょっと手狭感があるけど、
四六時中一緒に居れることを考えたら、良い広さだと感じた。
「あ、ちなみに真田君。エロ本を私が発見した日にゃ覚悟してね?」
ボケではない。本当に許せない。私以外見てほしくない。
「ほな、5分だけ外に待機しといてもらっていい?」
絶対冗談なんだろうが、少し腹が立った。
「あー!やっぱり持ってるんだ! 最低!!」
近くにあったクッションを真田君に投げてやった。
冗談冗談、といって、私の片付けを手伝ってくれて、
その日から一緒に住み始めた。
真田君は学生だから、私が働かないと。そう思って、仕事を探してみるが、なかなか良いのがない。しかもフェスが控えている中で働き始めて、
フェスと重なった日にゃ最悪だ。盲学校で働いていたお金もあるし、
フェス後に働く事を言ったら大いに賛成してくれた。
彼が学校が休みの時は、とにかく一緒にいろんなとこに行った。
この5年を埋めていってくれる。リクエストを聞かれると、
私は毎回、京都と言った。
京都で遊んだ夕方、必ずあの河川敷に一緒に行く。
「あの日、本当にこれが最後だったと思っていた。」
たぶん、来るたびに言っているが、本当にそう思っていた。
思い出すたびに泣いてしまう。
あの時ほとんど何も見えなかった景色が、今は見える。
隣にいるのはあの時と変わらない人。
この幸せを噛み締めれば噛み締めるほど、現実感が失われる。
手術が失敗していれば、今の幸せはもちろんない。ifの話は好きじゃない。
でもどうしても考えてしまう。
今でも、夜中目が覚めて、真っ暗な景色を見ると動悸が速くなる。
今までの事が夢だったのではないかと体が震える。
その度に真田君は起きて抱きしめてくれる。
彼に包まれると落ち着きそのまま寝てしまう。
また彼の優しさに甘えている自分が嫌になる。
一度、寝る前に、不安を口にしたことがある。
「私ってお荷物だよね。」
彼と目が合う。
「フェスまで働かないとか言ってたけど、
 私の学歴を見て雇ってくれるとこなんてあるのかな。
 完全に私真田君のお荷物やん。」
と言って、話している最中に自分が情けなくて涙がこぼれる。
「そんなことないよ。俺には中野さんがいてくれるだけでいいんだよ。
 5年間ずっと戦ってきたんだから、今は休息時間も必要だよ。」
と言って抱きしめてくれる。このままでいいわけがないのに。
「ごめんなさい、こんなはずじゃなかったのに。」
というとさらに涙が出てくる。私は弱くなってしまった。
5年間、一人で生きていこうと決めていたのに、真田君が目の前に現れて。彼のやさしさに甘えてしまっている。彼のせいじゃない。私が弱いだけだ。でも、目が見えなかった時の恐怖で一歩先に進めない。ある夜彼が、
「ねぇ、一緒に住んでるのに、苗字で呼び合うのって変じゃない?
 下の名前で呼んでいい?」
と聞いてきた。急に恥ずかしくなった。
「ダメかな?」
駄目なはずがない。嬉しい。でも、恥ずかしい。
「いいよ。私は呼ぶのが恥ずかしいからちゃん付けでもいい?」
そう言ってくれた日から、苗字で呼び合う事を辞め、
その夜はお互いの名前を言い合ってるうちにお互いが寝落ちした。
たったそれだけの事だったが、そんな些細な事でも安心感に包まれる。
どんな時でも、私は一人じゃないと思える。
その日から私は夜中に突然目を覚ます事がなくなった。

本当だったら外で泣く女と一緒にいるのは絶対嫌だろう。
私だったら絶対に嫌だ。それでも彼は、私が泣き止むまで待ってくれる。
話し出すまで待ってくれる。
周りの目を気にすることなく付き合ってくれる。
はたから見たら痛いカップルに見えるだろう。
でも、彼は私の事をずっと見てくれている。待ってくれていた。
たぶんこれから先も。甘えてばかりではいられない。
私も彼に似合う人間になりたい。そう思ったのがきっかけで、
ちょっとずつ、少しづつではあるが、前に進めているような気がする。

「てっちゃん、本当にありがとうね。」
私は最近、感謝の気持ちをすぐ伝える。
彼には頭が上がらない。その分、感謝を伝えたい。いうたび、
「僕もこの5年間ずっと我慢してきたんだよ。
 葵の為だったら何でもするよ。」
と言ってくれる。きっともう、いや絶対に私のほうが好きだ。
この頃から、私は完全復活し、トラウマを感じることはこの先なかった。

今は6月の後半、7月になったらいよいよ野外フェスだ。
通販で買ったグッズに袖を通したりして、ワクワクも最高潮だ。
「今年ロボチョッパーは七夕歌ってくれるかな?」
生で聞きたい。
「このフェスきて、セトリから外すのはないで。」
昔彼が言った事を思い出す。このフェスの為に書き下ろされた曲。
「他どのバンド見に行く?」
彼と予定を埋めていく事ほど幸せな事はない。
「ロボチョッパーの前のバンド。これは葵と見たいんよな。」
ん?私と?なんでやろう。
「なんで?あ、女の子いてるやん!それ目的か!!」
といってクッションを持ち上げて投げようとする、
彼が女の子の話をするのすら嫌になっている。私って嫌な女だな。
「違う違う。それロボチョッパーの後輩バンドで
 若手の中では異例の速さで売れてるんよ。きっと葵も好きなるよ。」
曲を勧められていたのか。
「フーン。それならいいけど。」
怒りが収まる。
「俺は今年、ロボチョッパーとその後輩バンドのRUSH。
 もちろん大トリは外されへんけど、それ以外はぱっとしやんのよな。」
確かに、今年は私たちが聴くバンドが少ない。
「やったら私が決めていい?
 てっちゃんのいうた3バンドを絶対見に行くとして
 それ以外のタイムスケジュール。」
でもせっかくなら全力で楽しみたいので埋めてしまおうと思った。
「これは重要なミッションやで?葵にできるか?」
と、煽るように言ってきた。
「私に不可能はない。」
といって親指を上にあげる。当日が楽しみでしかない。
出演するバンドの曲をきいて、良さげなバンドをピックアップして
朝一からパンパンのスケジュールを組んだ。5年越しのフェス。
彼はずっと待っててくれた。
きっと、私たちの記憶に深く残ってくれると確信している。
そうこうしているうちにフェス当日を、迎えた。

中野視点11話:眼球にくちづけを。中野視点11話|宇吉 (note.com)

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