眼球にくちづけを。真田視点8話

中野さんの眼は幸いな事に、これといった後遺症は残らなかった。
それでも、退院後には何度も経過観察で病院に行かないといけなかった。
退院してからの中野さんの動きはすごかった。働いていた盲学校を辞め、
一人暮らしをしている僕の家に突入してきたのだ。
親の了承を得てきたとは言うものの、半信半疑だ。
「ほんまに大丈夫なん? お父さんとかちゃんと説得した?」
「なんなん、私が来るのがそんなにいやなん?」
「そうじゃなくて段取り踏んでいかんと。」
「5年間も我慢してきたのに、段取りなんて踏んでいけませーん。」
そういいながら持ってきた荷物を片付けている。
困ったな、この部屋で二人は狭いよな。と、考えていたら
「あ、ちなみに真田君。エロ本を私が発見した日にゃ覚悟してね?」
すごい笑顔だ。すごく恐ろしい。
「ほな、5分だけ外に待機しといてもらっていい?」
「あー!やっぱり持ってるんだ! 最低!!」
そういって、近くにあったクッションを投げられた。
そのあと、僕も片付けに参加してその日から一緒に住み始めた。
と言っても、僕は学生だし、彼女はフリーターだ。
フリーターと言ってもすぐに働く気満々だった。
でも、仕事でフェスに行けなくなるのは嫌だから、
フェス後から就職活動するよと言い、僕も大いに賛成した。
僕が学校が休みの時は、5年間を埋めるべく、
一緒にいろんなとこに行った。もちろん、京都に行く回数が一番多かった。
「あの日、本当に最後だったと思っていた。」
河川敷に来るたびに、彼女はそう言って泣いていた。
僕はそうならないようにずっと努力して、報われたが、
彼女の場合はそうではない。ずっと、
見えない可能性がある中で生きてきたのだ。
きっと、その恐怖は彼女に一生消えないトラウマとして刻まれるだろう。
今でも、夜中急に起きて泣いていることもある。暗闇が怖い。
また見えなくなったのかと思った。と。そのたび、
僕は彼女を抱きしめ大丈夫だよと言い、彼女が眠るまで横で添い続ける。

ある日の寝る前、
「私ってお荷物だよね。」
と、彼女が言ってきた。
「フェスまで働かないとか言ってたけど、
 私の学歴を見て雇ってくれるとこなんてあるのかな。
 完全に私真田君のお荷物やん。」
と言って、泣き始めた。
「そんなことないよ。俺には中野さんがいてくれるだけでいいんだよ。
 5年間ずっと戦ってきたんだから、今は休息時間も必要だよ。」
と言って抱きしめる。でも事実だ。本当にいてくれるだけでいい。
「ごめんなさい、こんなはずじゃなかったのに。」
といって、また泣いた。
学生時代、僕といる時の気丈な中野さんはそこにはいなかった。
それほどまでに苦しい戦いだったのだろう。
僕は彼女のトラウマごと愛する必要がある。

僕は手始めに、
「ねぇ、一緒に住んでるのに、苗字で呼び合うのって変じゃない?
 下の名前で呼んでいい?」
と聞いた。彼女の頬が高揚している。
「ダメかな?」
「いいよ。私は呼ぶのが恥ずかしいからちゃん付けでもいい?」
その日から、苗字で呼び合う事を辞め、
その夜はお互いの名前を言い合ってるうちにお互いが寝落ちした。
その日以降、彼女が夜中に起きる事はなくなった。

現状に不安があるから、ダメなんだ。
彼女の不安をすべて取り除いていけばきっと克服してくれる。
そのための努力は惜しまない。
はたから見ればトンデモなカップルに見えるかもしれないが、
僕にとっても5年間というのは長い期間でそれを埋めたかったので、
苦とも何とも思わなかった。それほど好きなんだろう。
ちょっとずつ、少しづつではあるが、
彼女に自信が戻ってきたような気がする。
「てっちゃん、本当にありがとうね。」
好転していってる最中、何度も言われたが、その都度、
「僕もこの5年間ずっと我慢してきたんだよ。
 葵の為だったら何でもするよ。」
といって、安心させてあげる。この頃から、葵は完全復活したようで、
トラウマのトの字も今後出てくることはなかった。
今は6月の後半、7月になったらいよいよ野外フェスだ。
通販で買ったグッズに袖を通したりしてワクワクも最高潮だ。
「今年ロボチョッパーは七夕歌ってくれるかな?」
「このフェスきて、セトリから外すのはないで。」
「他どのバンド見に行く?」
そんな些細な会話でも幸せを感じることができた。
「ロボチョッパーの前のバンド。これは葵と見たいんよな。」
「なんで? あ、女の子いてるやん!それ目的か!!」
といってまたクッションを持ち上げて投げようとしてきたので、
「違う違う。それロボチョッパーの後輩バンドで
 若手の中では異例の速さで売れてるんよ。きっと葵も好きなるよ。」
「フーン。それならいいけど。」
よかった。怒りが収まってくれた。
「俺は今年、ロボチョッパーとその後輩バンドのRUSH。
 もちろん大トリは外されへんけど、それ以外はぱっとしやんのよな。」
「やったら私が決めていい?
 てっちゃんの言うた3バンドを絶対見に行くとして
 それ以外のタイムスケジュール。」
「これは重要なミッションやで?葵にできるか?」
というと、
「私に不可能はない。」
といって笑っているので任せることにした。あと心配なのは、天候である。梅雨は開けるが台風シーズンに突入する時期に実施されるので何度か中止になっている。5年越しに見に行くので、それだけはどうしても避けたい。
大雨をくらって地面がドロンコなのはそのフェスの代名詞と言っても
過言ではないので一度くらいは経験してみたい。
でも正直、病み上がりの葵と一緒に行くことは、多少の不安があった。
炎天下や強風吹き荒れる中だと目が心配である。
また、前のほうに行くとギューギューで押しつぶされる危険もある。
それでもこんなに楽しみしている葵を見ると
辞めようなんて口が裂けても言えないし、とりあえず、全力で守らないと。
そうこうしているうちにフェス当日を、迎えた。

真田視点9話:眼球にくちづけを。真田視点9話|宇吉 (note.com)

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