オタクの愛は無限大
オタクの愛って本当に深い。
もうね、「好き」っていう軽い言葉では言い表せないのよ。
そんなことに気づいたとある出来事・・・
我が家にはシェットランドシープドッグの犬がいます。その犬の名前は、子供たちがとあるアニメから名付けたもの。そうです。我が家は全員オタクだったりなんかします。
犬のお散歩をしていると、自然と顔見知りになる人たちっていますよね。そんな人たちとたまにおしゃべりするのだけど、先日会ったおばさまの発言で、やっぱりオタクは素晴らしい!と改めて実感したのです。
そのおばさま、羽生結弦くんの大ファンだそうで、この冬季オリンピックでも応援していたそう。
でも羽生くん、他のオリンピック選手とは違う日に移動したり、別行動を取ったりしてて、なんて生意気なんだろうって嫌いになってきたそうな。そして、本番!競技中に転んでしまったそうで・・・
天罰が起きた!もう好きじゃなくなっちゃったわ!だそうです。
え?! なにそれ、こわっ!!!
私、ウィンタースポーツがまるっきりダメで、それに寒いし。だから冬季オリンピックもあまり興味が湧かず、観たのはスノーボードくらい。羽生くんが転んでしまったこととか、点数が振わなかったことを知らなくて、ただ聞いていただけだったのだけど。
この話を聞いて思ったのは、人間ってたくさんのフィルターを持って物事を見てるんだなってこと。
だってさ、移動日が違ったり、別行動を取ったりって、それって練習とか、なにかしらのスケジュールがたまたまそうなっちゃっただけかもしれないし、何も偉そうに自分だけが特別なんだっていう意味でやってた訳じゃないだろうし。そんなの本人に聞いてみないと分からないことなわけで。
だからそのおばさまにとって、人と別行動を取るのは、わがままで偉そうな人という思い込みのフィルターがあるってことが分かるんだけど。
でさ、競技中に転んでしまって、それが天罰だなんて。そんなのひどいよ。仕方ないことだってあるじゃん。
でさ、なんでそれだけで嫌いになっちゃうの?
自分の期待通り、自分の想像した通りの人じゃないと嫌いになっちゃうってことだよね。
それっておかしい。
そんなんで嫌いになってファンじゃなくなるって、もう始めからファンじゃないじゃんって、私は思ってしまった。
でも、考えてみると、オタク系ファンと、普通のファンって、もうさ、愛の度合いが違うよね。
普通のファンの人は移り気が激しいけど、オタク系のファンは、何が起ころうと愛情深く見守っているというか。本心から、その人の幸せを願っているというか。
これは、同じ「好き」という感情でも随分と質が違うものだなと思ったのです。
オタク系の愛は、「好き」を通り越しちゃってるよね。もう何をやっても可愛いになるし、どんな表情でも、どんなことを言っても、かっこいい〜好き〜になるわけで。
それに、好きになることで、もう自分が癒やされちゃってるんだよね。
オタク系の愛は自分がもう癒やされてるから、幸せでお腹いっぱいの状態なんだなっていうことが分かったのでした。
ということで、私はオタク仲間が好きです。
ヨロブン(みなさん)、これからも一緒に見守っていきましょう。
サポートは自然環境の保護&自然の精神魂を活性化する活動にあてていきます✨✨✨ その報告もできたらいいな。