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つきつけられる家族のつながり 映画「そして父になる」 #437

「血なんていうのはね、つながり方に自信が持てない男の言い草よ」

10か月のあいだ、へその緒で子どもとつながっていた“母”とは違い、つながりを持たない男の人は、どうやって“父”になるのでしょう。

都心のタワマンに住み、レクサスに乗り、仕事で成果を出してきたエリートの野々宮良多の、“父性”を獲得していく物語が、是枝裕和監督の「そして父になる」です。

実の子を育ててくれていた夫婦に対してはもちろん、自分の妻や子どもでさえ値踏みするような視線を向ける良多。冒頭のセリフは、地方都市で電気屋さんを営む家庭の奥さんが、彼に向かって吐き捨てる言葉です。

いっそ暴力的な形で環境が変わらない限り、家族のあり方をみつめられないのだなと感じた映画でした。“父”だって、管理者ではなく、構成員のひとりでしかないはずなのに。

<あらすじ>
大手建設会社に勤務し、都心の高級マンションで妻と息子と暮らす野々宮良多は、人生の勝ち組で誰もがうらやむエリート街道を歩んできた。そんなある日、病院からの電話で、6歳になる息子が出生時に取り違えられた他人の子どもだと判明する。妻のみどりや取り違えの起こった相手方の斎木夫妻は、それぞれ育てた子どもを手放すことに苦しむが、どうせなら早い方がいいという良多の意見で、互いの子どもを“交換”することになるが……。

第66回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品され、審査員賞を受賞した映画です。エリート父を演じたのは福山雅治さん。自身初の父親役でした。

東京と群馬を行ったり来たりするシーンが多いのですが、その間はほとんどセリフがありません。長ーく伸びていく電線と、バッハのピアノ曲が流れるだけ。それと、息子と思って育ててきた慶多の、まったく成長しないつたないピアノ演奏がいい対比になっていました。

福山雅治さんが是枝監督に提案したことがきっかけとなり、映画の脚本がスタート。そのため、福山さん演じる「良多」には“当て書き”がされているそうです。

この人が、ホントに冷たい視線を向けるんですよ。

ロサンゼルスオリンピックで金メダルを獲得した体操選手の森末慎二さんは、かつてテレビ番組でこんなことを語っていました。

競技において「天才型」はコーチには向いてないんです。なんでできないのか理解できないから。天才は「こうして、こうして、こう」とイメージするだけで跳べてしまうんです。

おそらく、「良多」も同じだったのではないかなと思います。競争社会を勝ち抜いて一流大学を卒業し、大企業に勤め、地位を獲得してきた自分。「悔しい」という感覚のない息子。そして、群馬に暮らすワイルドな斎木夫妻。エリートである彼は、まったく理解できなかったのでは。

そんな男と暮らす妻みどり(尾野真千子)は、正解を踏み外さないようにおびえているようにみえる。リリー・フランキーさんが演じる斎木夫のテキトーさと、真木よう子演じる斎木妻の肝っ玉感は、きれいに正反対の位置にいます。

会社人間が“父性”を獲得する映画といえば、「クレイマー、クレイマー」もそうでした。妻に家出され、取り残された夫と息子の“生活”の中で、コミュニケーションのとれなかった息子と絆が生まれるシーンが、とても感動的です。

「そして父になる」は、離婚とは別の形で家族のつながりが強制的に変えられてしまいます。ダスティン・ホフマンは家事をこなしながら“父”になったけれど、福山さんは自分の父との関係、母との思い出を取り戻して“父”になっていく。

画面の中で長ーく伸びる電線が、ふたつの家族をつないでいるようにも見えました。つながり方に自信が持てなくても、つながる方法はある。“正解”なんてない。それはきっと、エリートには発想できないような、ワイルドな方法かもね。


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