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受け身な恋の行方のような 『文鳥・夢十夜』 #396

「猫好き」のイメージのある夏目漱石ですが、そう思われることに嫌気が差して「猫は好きじゃない。犬の方がずっと好きです」と友人に語っていたそうです。あらん。

そんな夏目漱石の超短編小説『文鳥』は、教え子に文鳥を飼うことを勧められ、うっかりお金をだしてしまった「男」が主人公です。

火鉢が必要になった頃、届けられた文鳥。翌朝は「文鳥にエサをやらなければ。でも起きるのがつらい。もうちょっとだけ、もうちょっとだけ」なんておふとぅんの中でグズグズ。ものすごく人間くさい「男」なんです。

おかしいのが餌箱の交換です。

「男」は手が大きいので、カゴの中に手を突っ込むので精一杯。逃げないように左手で入り口をふさげと言われていたのですが、慣れないものでアタフタ。驚いた文鳥はバタバタ。緊張の瞬間が、でも静かな言葉で語られます。

最初の頃こそ、文鳥が「千代千代」と鳴いただけで縁側まで見に行っていた「男」。そのうちに執筆が忙しくなり、外出の予定も重なり、世話をすることを忘れてしまうのです。

「淡雪の精」にたとえられた文鳥は、「男」に「美しい女」の記憶を呼び覚まします。

この「美しい女」は、『道草』の「御縫さん」のモデルとなった日根野れんではないかと言われているそう。「御縫さん」は、主人公・健三のお嫁さん候補だった女性です。

御縫さんはすらりとした恰好の好い女で、顔は面長の色白という出来であった。
ことに美しいのは睫毛の多い切長のその眼のように思われた。

『文鳥』にも、鳥の目について描写したくだりがあります。

文鳥の目は真黒である。瞼の周囲に細い淡紅色の絹糸を縫い付けたような筋が入っている。目をぱちつかせるたびに絹糸が急に寄って一本になる。とおもうとまた丸くなる。

文鳥2

(画像はWikipediaより)

「細い淡紅色の絹糸」がまぶたにありますね! まばたきする時に「切れ長の目」に見えたのかもしれません。

初めて自分の顔を見て「ちち」と鳴いてくれた文鳥。あまりにもはかない命のあり方が象徴しているのは、美とか生命なんでしょうね。ですが、わたしには「恋の一生」を表しているように感じられました。

じらしタイム:「文鳥を飼え」と勧められてから、実際に文鳥がやってくるまでのもどかしさ。

舞い上がりタイム:初めて間近で目にした、小さき鳥の愛らしさに浮き立つ気分。

文鳥の方も最初は緊張していたのか、「ちち」としか鳴かなかったのに、徐々に「千代千代」と鳴くようになります。
(余談ですが、「千代千代」には、「ちよちよ」とルビが振られています。さすが、この当て字の和風感は文鳥にぴったりな気がします)

没頭タイム:声を聞くだけでうれしい。行水のお手伝いまでしてしまう、夢中の頃。

葛藤タイム:邪魔者の出現によって優先度が下がり、複雑な気持ち。

少しずつ近づいたふたり(?)の関係が、一変してしまう様子に胸を突かれました。相手は文鳥なので仕方ないけれど、「受け身」一辺倒でいてはいけないのだなと思った次第。

本には「夢十夜」「思い出す事など」など、病と死を描いた触れた短編も収められています。ひょうひょうとしたユーモアの漱石節とは違う一面を発見できる一冊です。

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