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透明な“檻”から抜け出そうとする女の選択にしびれる 『ラヴィアンローズ』 #330

わたしにとって「家」とは、くつろげる場所であり、安心できる場所でもあります。人によっては避難場所だったり、脱ぎ捨てる場所だったりするのかもしれませんね。

村山由佳さんの小説『ラヴィアンローズ』を読んで感じたのは、「家」は「檻」にもなり得るのだということでした。

カリスマ主婦として人気の咲季子は、夫の道彦と薔薇の咲き誇る家で暮らしています。夫は優しいとはいえ、門限があったり、男性との打ち合わせはNGだったりと、厳格なルールを強いている時点で、かなりの束縛タイプ。

一見すると「幸せ」な暮らしですが、わたしには「檻」にしか見えませんでした。

年下の青年・堂本と知り合ったことから、咲季子は自分が「檻」の中にいることを自覚。そこから飛び立とうとするのですが、というお話です。

夫の道彦は、完全に咲季子を支配しているので、「お前では頼りないからムリだろ」「お前では分からないから判断できないだろ」と、「お前にはできない」という暗示をかけてきます。

わたしの友人のひとりに、こういうモラハラ男と付き合っていた子がいました。それも何度も。学歴が高かったり、高収入を得ている事業家だったりしたわけですが、気がつくと。

彼女自身の言動は常にマウントを取るものになっていました。

慣れてしまうのか。自分がされたように人にしてしまうのか。透明な「檻」と暗示は、こんなにも心を支配してしまうのか。

自分の意志がなかったという点で、山田宗樹さんの小説『嫌われ松子の一生』を思い出しました。

中学教師だった松子は自分の意志を持たないせいで、どんどんと転がり落ちる人生を歩むことになります。ようやく自分の足で立ち上がれそうになった瞬間、不幸に襲われる。

咲季子もまた、夫に「お前にはできない」という暗示をかけられて意志を持たない状態です。青年・堂本に恋したことで目が覚めるのですが、男の狡さの犠牲になる。

あの人の腕に 抱かれたわたし
バラ色の日々
あの人が語った 愛の言葉が
わたしをとろかす

エディット・ピアフ の名曲「La Vie en Rose」さながらの、キラキラの恋する時間が、女の愚かさを際立たせていきます。

「家」は、くつろげる場所としてあってほしい。支配の関係がなくても、それは可能だと思うけど、さて、咲季子の結論は?

ラストは賛否が分かれそう。

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