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群れから追放された異端のかもめによる勇気と愛の物語 『かもめのジョナサン』 #398

すんごく有名なのに、実はよく知らないというもの、ありませんか?

わたしの場合、これまで100本近くの韓国ドラマを観ているのに、韓流ドラマブームの火付け役となった「冬のソナタ」は観てないんですよね。

邦画だと、「寅さん」シリーズを1本も観たことがありません。「仁義なき戦い」シリーズは「新」まで含めて制覇したのに。

今週は「鳥」をテーマにした本を紹介していて、なにがあるかなーと探していたとき、『かもめのジョナサン』を思いつきました。たぶん、小学生の頃に読んだような気がするのですが、友人に聞いてみたところ「タイトルは知ってる」という程度。わたしもそうでした。

あらためて読んでみて、こんな話だったのか!と驚きました。イノベーションが求められる、いまという時代にぴったりの本かもしれません。そしてインフルエンサーがもてはやされる時代を予言していたようにも感じました。

主人公はかもめのジョナサンです。ほかのカモメが「食べる」ために飛ぶのに対し、ジョナサンはとにかく「飛ぶ」ことが好き。それもスピード狂なんです。

どうすれば自分の求める飛翔ができるのか。

母に止められても、仲間にバカにされても、飛ぶことをやめません。

これが「Part One」にあたります。

人生には、食うことや、争うことや、権力を奪いあったりすることなどより、はるかに大事なことがあったんだと、そうはじめて気づくようになるまでに、カモメたちはどれだけ永い歳月を経てこなければならなかったことか。きみにはそれがわかるかね?

この後、ジョナサンは自分と同じように「飛ぶ」ことを追求するかもめたちの世界へと導かれ、そこでさらに能力を覚醒させます(Part Two)。でも、やがてジョナサンは元の世界に戻ることを決めます(Part Three)。

「Part Two」で出会った師匠のチャンは、ジョナサンにこんな言葉を贈っています。

「ジョナサンよ」と彼は言った。それが彼の最後の言葉だった。
「もっと他人を愛することを学ぶことだ。よいか」

愛を思えば思うほど、かつて自分をバカにした仲間たちのところへ戻りたくなったジョナサン。自分を追放したかもめたちのことを許すことはできるのか? 仲間たちはジョナサンを受け入れるのか?

1970年にアメリカで出版され、1974年には日本でも翻訳出版されたこの本。このころは「Part Three」までが収められていました。その後、幻の「Part Four」を加え、2014年に「完成版」が書籍化されたのです。

著者のリチャード・バックは元米空軍の戦闘機パイロットです。飛行機事故で瀕死の重傷を負い、あらためて最終章を出版することを決めたのだとか。完成版の「はじめに」で、半世紀前の当時は「Part Four」で書いた物語の結末を信じられなかったと語っています。それくらい、ちょっと衝撃的な章でした。

“古人の跡を求めず、古人の求めしところを求めよ”

松尾芭蕉が空海の言葉として紹介した言葉で、「先人たちの、遺業の形骸(ぬけがら)を追い求めるのではなく、その古人の理想としたところを求めなさい」と解釈されています。まさにこの言葉どおりの展開になります。

努力→覚醒→伝播→神格化へと進むストーリーは宗教的な寓話とも読めますし、「いま、ここに集中せよ」という秘訣はマインドフルネスそのものとも思えます。また、伝播の過程でジョナサンがとる手法はコーチングの考えに沿ったものです。

群れから追放された異端のかもめによる、勇気と愛の物語。「タイトルは知ってる」という程度でしたが、いま読めてよかった。





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