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百円の価値を吹き飛ばす認知バイアス

それはささやかな贅沢か?

 夕食は、キーマカレー🍛だったある日、
「卵の黄身だけを入れると美味しいよ。」
と言われ冷蔵庫から🥚一つ取り出しました。そんなに倹約家ではありませんが、もったいない精神が染み付いています。使わない卵白をどうするか、捨てることに抵抗を感じました。小鉢に取り分けて、焼いて食べることもできますが、そのひと手間にかける時間が惜しいので、結局捨てることにしました。

 小さな罪悪感から、
「そんな贅沢していいかな?」
ぼそっとつぶやくと、
「それは、ささやかな贅沢という。」
と夫が訂正しました。夫との生活も25年を越え、生家での習慣よりも一緒に暮らしている年月のほうが長いのですが、生家で身につけた価値観がベースのままだと感じた一瞬です。
 私の贅沢は、彼の「ささやかな贅沢」なんです。

 さて、卵ではなく、廃棄した「卵白」を「100円値引き」とお金で考えてみます。卵の割合は、卵白が60%卵黄は30%卵殻10%で、
卵黄:卵白=1:2ですが、ややこしいので実際の🥚は忘れて、ここでは値引きの話に絞ります。


300円のA商品の100円引き
と、
3万円のB商品の100円引きでは、同じ100円ですが、A商品の値引き100円(卵白)の価値は大きくなった気がします。だから、食品スーパーをはしごして、10円でも安い商品のために自転車🚲を走らせるのです。

 しかし、3万円のB商品で100円引き(卵白)は、お得感はほとんど感じません。むしろ、なぜたった100円の値引きを誇らしげにアピールするの?と店員さんに聞きたくなります。
 私の捨てた卵白は、A商品の100円であり、彼の捨てた卵白はB商品の100円なのでしょうか。

 若いころから、お金を大事に使うことを心がけてきました。一人暮らしの頃は、夕飯は50円引きや100円引きにひかれて?スーパーで総菜🍙や弁当🍱を選んで購入してきました。財布👛に残った小銭は、貯金していました。100円を大事にしていたと思います。しかし、そんな私にも100円の価値を吹き飛ばす、B商品がありました。

 給料日の翌日、書店に行くと目についたB商品を棚から引き出し、抱きかかえるように購入していました。1万円を超える専門書📖新書📗話題のおすすめ本📚など、両手でかかえてレジに並びました。子どものころ、本は図書館で借りて読むものだったので、自分で選んで購入することがうれしくてしかたありませんでした。

 100円が300枚分の3万円の重みよりも
「欲しい!」
に負けて衝動買いをしていました。キーマカレー🍛の卵白を捨てたような痛みを、何も感じずに。むしろ喜びと高揚感を胸にして。

 食費は生きていくための必要経費です。ですが、
「必要だから買う」と「欲しいから買う」は同じ経済行動なのに、同じ人の買い方なのかと思うほど、意識が違うのですね。


こんにちは。お互い、一休みですね。


理性と感情のバイアスを超えて100円を評価する


 買い物をするときの態度は、理性的な買い方と感情的な買い方があります。直感や感情をコントロールして、値引きや限定品、タイムセールなどにとらわれず、合理的に100円を使いたいと思っています。

 感情や直感で買ってしまうのは、認知バイアスによるものだそうです。「今すぐこれがほしい!」
といった、現在バイアス(将来的な価値を低く評価し、目先の利益を優先させる)同調バイアス(みんなが持っているから、買いたい)サンクコスト効果(今までの費用を回収したい)希少性(ここでしか買えない)などのバイアスに惑わされます。
 それらのバイアスを外して、いや外せませんね。それらのバイアスと意識して距離をおき、そのうえで目の前の100円を引き受けてみましょう。

 100円均一のお店には、110円の商品が並べられています。ここでは、どちらの買い方で商品を選んでいますか。私は、必要な品しか購入しないという人のほうが少ないのではないかと思います。その人にとって、110円以上の価値があると思うものを、かごの中に入れていくのではないでしょうか。

どんなに買い物をしても、幸せにはなれない。

 子どものころ、
「もっとお金があれば、たくさんの漫画や本を買ってもらえるのに、、。」と思っていました。ある年の誕生日に父親が一度だけ古本屋で、どんと漫画を買ってきてくれました。うれしかったのですが、いろいろな種類の月刊誌が10冊以上。総額800円程度の買い物だったようです。

 連載漫画のはじめも終わりもわからず、切り取った部分を読むのです。もちろん読み切りの作品も掲載されていましたが、続きを読むことができず文句を言いました。
「こんなことなら、いらなかった。」
というような内容の発言だったと思います。おそらく父親は、なぜ文句を言うのか理解できなかったと思います。

 働くようになり、自分で様々な商品(例えば、洋書・専門書やブランド物の洋服👚財布👛にバッグ👜など)を購入するようになると、100円の価値を振り切って、お金を使いました。うれしさや満足感はありました。しかし、幸せかと問われると、すぐに答えることができませんでした。

 そのころ、コマーシャルで
「ものより思い出」
というキャチコピーがありました。物の価値を高く考えすぎると、幸せになるどころか、むしろ不幸せになるのではないかと感じました。

 今は、若いころの不安定な私ではなく、感謝の気持ちや人とのかかわりに幸せを感じることができるようになりました。
 願わくは、幸せだから買い物が楽しくできる私でありたいのです。

この建物は100円玉がいくつ分なのだろうか。

体験は、物よりも優れているか?

 高価なバッグ👜を購入したとします。その行為は、見かけはバッグを購入していますが、バッグから得られると思っている付加価値を購入したと考えることができます。
 私は書類を入れる物が欲しいのですが、高額である必要はありません。いえあります。自分の満足感のためです。
その額を出せる自分であるということと、
そのバッグを持ち歩いているという自分と。


 もう一度、
「ものより思い出」
に一言。
 その思い出に、颯爽と当然のように、バッグ👜を持つ私を入れたいのです。そして、バッグを持つ私は、旅行✈️で楽しい体験をしていることでしょう😁


 しかし私の最近の姿は、
かけがえのない人たちと楽しく商店街の買い物に行き、100円の価値を確かめながら、お気に入りのビニル製の軽いバッグから、キムチやお漬物の味見をして、必要な分だけ購入する強気な消費者です。

 不動産売買では、大きな額になるため、100円感覚が麻痺してしまいます。どのような買い物をしようと、100円を大事に扱う大人でありたいと思います☺️


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