「好き」の反対

別に理屈っぽい話じゃなくて(理屈っぽい話も結構好きなんだが)どちらかといえばメンタル的な話。
私は「嫌い」なものがあまりない。
そりゃ細かく挙げれば「苦手」なものや「不得手」なものはたくさんあるが、どれも「嫌い」になるまでには至らない。食べ物なんかはそれしかなけりゃ食べるし、行為においても、選択肢が極端に少ない状況だとやむを得ずやらないといけないこともあるだろう。
私にとって「好き」の対義語は「どうでもいい」とか「興味がない」なのだ。
例えば人参が嫌いな私がいるとする。
大好きなカレーに入っている嫌いな人参をわざわざ除けることに使うエネルギーがもったいない。そんなつまらないことに時間と労力を使うなら、どうやって人参を美味しく食べられるかを考えるタイプなんだ。
生卵を入れたり、マヨネーズかけたり、タバスコ入れたり、いろんな可能性がある。
当然のように、食べ物だけじゃなく対人間を考えても同じことが言える。
嫌いな人間を遠ざけたり、排除したりするのって結構エネルギー使うし、別に労力に見合った成果が得られるとは限らない。
だったら人参と同じように美味しく食べる可能性を追求するか…っていうわけにもいかない。だって相手は人間なんだから。
こっちの思い通りにマヨネーズかけたりタバスコかけたりできるわけがない。
そういう自分の感情以外の部分でやきもきするくらいなら最初から一定の距離をとって俯瞰した方が精神的にもよっぽどいい。
違う角度から偏見なしに眺めていると意外と好きになるところが見えたりするもんだ。
私はこれまでの人生で関わってきた人間は皆が皆好きだとは当然言えないが、感謝はしている。中には理不尽な上司もいたし、裏切って離れていった人間もいる。そういう人たちは所謂反面教師として心には留めている。
人間関係に固執して大していい思いをしたことがないので、来る者拒まず去る者追わずの精神で、自分の感覚を信じて自分を大事にしてくれる人を全力で大事にしよう。
そのためのルールは、
他人の悪口は言わない、聞かない。
噂話を信用しすぎない。
自分が悪いと思ったら相手に関係なく謝る。
たったこれだけだ。
今現在自分の人生の中でも極端に狭いコミュニティで生活している自負はあるのだけれど、今関わっている人はみんな好きです😘


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