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「公開」袋叩きが大人社会で横行していたら

皆さまこんにちは。

森会長に関する一連の報道、すごく気持ち悪い思いでした。

辞めるまでは徹底的に叩き続けるんだ、というメディアの姿勢を感じました。単なる袋叩き。いじめです。

今、民放のテレビは午前中も昼間もワイドショーが多く流れているので、テレビをつければ「袋叩き」を見させられることになります。

見る側としては、別のものを見たい層もいるはずなのに、選択権がない状態です。

こういうワイドショー系のスポンサーはどう思っているのでしょうか。出資することが世の中のためになっていると思っているのでしょうか。

枕ことばをつける報じ方は卑怯

もう一点感じていたのは、このニュースを取り上げる際のこと。

「女性蔑視発言をした森会長」「女性蔑視と見られる発言をした森会長」と、必ず「女性蔑視」と付けて紹介することに違和感しかありません。

あの発言が女性蔑視がどうかを判断するのは、受け手(私たち)側のはず。ところがこれだと、なにも知らない人は「森会長は女性蔑視の発言をした人だ」と思うしかありません。

これは受け手の思考停止を呼び込む、あるいは受け手に一つの思考をすり込んでいることです。きわめて危険な印象操作です。ハッキリ言ってメディア側が卑怯だと思います。

ここは単に「森会長が……」と報道すべきです。

それで受け手の側が「なぜ森会長がやめるやめないとなっているんだ?」と思い、そこから受け手が興味を持ったら自ら調べる。そのほうがよほど正確な情報を得ることができます。

せめて、「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかると発言した森会長」と報じるべきです。これは実際に言っていることですので。

その言葉を聞いた上で、それが「女性蔑視」なのかは、私たちが判断すべきです。

あの発言は「見出し」だったようです

昔、石田純一氏が「不倫は文化だ」発言で袋叩きにあいましたが、実際にはそうした発言はしてなくて、ある新聞社の見出しに「不倫は文化」と出したことで、あたかも石田氏がそう発言したかのようになったようです。これが事実だとするならば、発信した側こそ大問題です。

あれから相当の年数が経過していますが、日本の発信する側の「操作」はなにも変わっていない。たぶん自覚すらない。

何かあれば、叩ける対象を見つけ出してみんなで寄ってたかっての袋叩き。

大人社会がこれをやっていたら、子どものいじめをやめさせることなんてできない。そう思います。

間違っていますか。

至ってごく普通のサラリーマンのつもりですが少し変わった体験もしています。