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中学校のトラウマ

今の会社に障害者雇用で入社し、入社後は、自分だけが矢面に立たされる状態が長く続いたため、鬱状態になり休職に至った。

今回は、それらに至る要件のうち、中学時代の嫌な記憶がフラッシュバックする件について、赤裸々に語る。

中学校の出来事

当時は、特別支援学級に所属していたが、基本的には通常学級の所属でもあり、普通の子と同じように授業を受けて、同じように定期試験を受けていた。

特別支援学級という言葉の通り、発達障害に対する理解が無かったと問われば、迷わず「それは違う」と答える。

ただし、その理解は極めて表明的な部分にとどまり、発達障害のように未知領域を多く含むものに関してはむしろ逆効果に作用した。

「発達障害だから出来ないこと」と「中学生だから出来ないこと」の区別が曖昧なまま、「その当事者の出来ること」と「出来ないこと」のみにフォーカスし、上意下達な監視体制を生み出した。

長らく言語化できなかった違和感の正体だったが、それを突き止めたことが人権の大切さを噛み締めた瞬間であり、成長のステップを踏んだ瞬間だった。

その事は大変誇りに思う。

それを踏まえた自分自身の行動指針

以上の問題点は、本来は選挙権の与えられる18歳までに気付くべき社会構造の闇。

気付くのに10年遅れてしまったが為に、様々な苦労を体験する人生になったが、その分、信念と生活行動を連携させる術には自信を持てるようになった。

差別の構造を積極的に容認する悪意丸出し政党はもってのほか。

悪意はないが、差別の構造を消去的に容認し、人権思想をアップデートする意思がない政党も投票したくない。

差別や人権侵害には断固として対決するのはもちろん、現状を良しとせず、人権思想のアップデートを怠らない政党に投票権を行使し、機会があれば該当すると思われる政党に献金したり、入党する事も検討している。

それは、縁あって鉄道会社に入社した人間のプロとしての矜持でもある。

安全には絶対も、神話も、そしてまたゴールもない・・・東京大学 社会基盤工学 家田仁教授

「安全」を「人権」に置き換えても、その言葉はそのまま通用する。

というよりも、人権を守ることが安全である。

人命だけを守ればいい(=殺さなければいい)という考え方は、あまりにも前近代的であり、不安全であるどころか、消極的な殺人でさえある。

その事を肝に銘じて、他人の人権を守るのはもちろん、それをより一層アップグレードできるような管理職・役員・社長・財界人になりたいと思う。

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