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過去なんてど~でもいい


私は数々の
犯罪を犯してしまいました

最初は傷害罪

初めてできた親友を殴ったり蹴ったり
今思い返せば
殺そうとしていたのかもしれません

そんな自分が怖いです

2度目は住居侵入と窃盗罪

その後は
逮捕をされないまでも
本当にゴミみたいな人生でした

自分で犯した罪は消えないですし
死にたいと考えた時期もありました

『なんでこうなっちゃったのかな』

何度も何度も考えました

人生がつまらないです

心から笑える人が羨ましいです




仏教の言葉に

直指人心(じきしにんしん)

という教えがあります


人間が持っている
『純粋なる自分』の心
を直接に指す


私達の心の中には
様々な不安
様々な欲
様々な計らい

があります

こんなメリットがあるかな
本当はズルいかな

あの人には申し訳ないけど
バレなければいいや

他の人を
出し抜いて得をしたい

などと

心の中には
そのような感情が
渦巻いています

他所に意識を向けて
他人の意見とか
他人の甘い囁きや誘惑に
惑わされてしまう


でも
そんな心の奥には
人として純粋なものがある

自分の心の中にある
本当に純粋なもの
指し示して
素直に取りなさい

私たちの愚かさを指摘しつつ

難しい事は何もないよ
自分の心の奥にある純なものを
素直に掴めばいい

そんなことを教えてくれる言葉です


この話をすると

現実の世の中は
そんなきれい事では済みませんよ
計算もしなければなりませんよ

と言う人が必ずいます



私も現実の世の中に生きています
なので計算をしなければ
ビジネスもうまくいかないことは
重々承知です


でも

順番を間違えてはいけないのです

物事には道理があるのです

この世の中には

この世の法則があります
この世の真理があります


太陽はどんな計らいをしても
東から登り西に沈むのです

雨はどんな計らいをしても
天から地に向かって落ちてきます


私達のより良き幸せな生き方
というのは

その法則に従うのであれば
宇宙の真理に従うのであれば

直指人心によって
見えてくる心の中の

「純粋なる自分」に
基づいた人間性
が先

その後に
計らいが来るのです


計らいが先
心が後

ではないのです


現代に生きる私たちは
心の貧乏
とも言える状態に陥りやすい



私たちは

沢山のモノを持っています


本を持っている
靴を持っている
世界には本を読めない人がいるのです
世界には靴を履けない人がいるのです

数百年前の人間が持てなかった
かつては贅沢品といわれた
沢山のもの達を
当たり前に持っている



携帯電話を持っている
暖かい布団を持っている
家を持っている
自転車を持っている
車を持っている


色々な物をもっている

でも

自分を持っていない


物事を判断する

「自分」

というものを持っていないのです


だから簡単に

TVでやっていた魅力的な話
に振り回されてしまう

友達が耳元で囁く
甘い話にのってしまう

周りの人が囁く
悪口や噂話に心を動かされてしまう

いとも簡単に

会ったこともない人たちの
批判や評判に
影響されてしまう


必要なことは
自分の奥底にある自分の魂
の感じることに従って

素直に生きること
です

誰にとっても

人種も国も
年齢も性別も環境も
何もかも
関係なく

常に
自分の中心に
置かなければならないことは

「純粋なる自分」

であること

これを絶対に忘れないで頂きたい


これから
この「純粋なる自分」の心に従って
生きようとした時に
過去の自分に悩まされること
があるかもしれません

どういうことかと言うと

自分の過去が醜く見えてしまう

のです

こんなことをやってしまった 
あんなことをやってしまった
人に胸を張って堂々と生きて行く
ということが出来ない
自分になってしまった


そんな自分に苛まれること
があるかもしれません


学歴もない
まともな職歴もない
何もない

禅では

そんな過去など
どーでもいい

のです



どう生きようとしているのか


常にそこが問題なのです


過去に悪事をはたらいた

過去に思うような自分ではなかった


でも今

『純純なる自分』の心
に従って生きようとしている

そのことが大事なのです


逆に

過去に物凄い実績を残し
沢山の人の称賛を浴び
素晴らしい栄誉と地位を得たとしても


欲や怒りや惑いの中にあるなら
その事こそ問題なのです


ぜひ
知って頂きたい人がいます

右近勝義さん
という方です


この方は
中学生でヤクザの世界に出入りをする
というチンピラでした


東京の新宿でケンカに明け暮れ
荒んだ青年期を過ごしました


ある日
街の中ですれ違った宣教師さん
の笑顔に惹かれ
教会に出入りするようになりました

このまま荒んだ生活を続けたくない

何だかよくわからないけれど
宣教師さんのような
笑顔の人になりたいと

ヤクザの世界から抜け出しました


そうして
必死に勉強をして大学を卒業しました

職を転々とし
世界を旅して
気付いたことは

「自分には何もない」

という現実です

どうやって生きて行こうか
という時に

自分は
何もやってこなかった
何も経験がない
何も技術がない

立派に生きて行こうという志はあるが


何もない


そうして決心をしたのです

自分には何もない

だから

「自分が出来ることを全部やろう」

自分にも出来ることを
繋ぎ合わせてすべてやろう

という決意です


犬の散歩
寂しい人の話し相手
火事のお手伝い
電球の交換
部屋の片づけや掃除
簡単な修理

自分が自分の出来ることの中で
他の人が困っている事に
寄り添おうとしたのです

「やれることはすべてやる」

自分が出来ることで
人のお役に立つことがあるなら
何でもやります
という

今でこそ「便利屋」という仕事
が存在しますが
その頃は
まだ誰もやったことがなっかった

そういう右近さんの元には
依頼が殺到するようになります

そうして
全国からは
「自分には何もない」
という若者たちも集まり
ひと月に4000万円という売上
を上げるまでになります



私たち僧侶も
お経だけを読んでいる
だけではないのです


私は
お釈迦様の教え
仏教の教え

お釈迦様の弟子として

毎日毎日
自分なりに学び
自分なりに実践したい

と思った結果
この一問一答ということを
させて頂いています


私が知っていること
私が出来ること
その全てをやろう

皆さんにお応えしているのです

世の中の人達の力になれること
があるならば
全力でやらせて頂きたい

私が上で
皆さんが下だから
応えているのではないのです


誰にも必ずあるはずです


自分が出来ること


「純粋なる自分」の心

に従って

人と比べず
人に惑わされることなく
ひとつひとつ
進んで行けば良いのです









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