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私らしく生きる…「私らしい」ってナニ?


「私らしく生きる」
とは

自分自身の本質や価値観に忠実に
他人や社会の期待に縛られず

個人の特性や好み
自分の幸福や成長
信念に基づいて行動し

生きることです

私らしく生きるためには

・・・・・


私とは… 

私には何が出来るのか…


私だけがー
私に与えられたー
私にしか出来ないー
 
そういう事があるなら
やるべきです
 



 
 「私らしさ」

 人間が社会化していく過程の中で

「私」
というエゴの芽生え


エゴとは

計らいの断片
計らいの一かけら
自分にとって有利
心地好い感覚

良い思いをするための計らい


強大なパワーを持つ
自分を惑わす根源
苦しみを生み出す泉


赤ちゃんや自然界の動物は
そんなものを欠片も持って
生きてはいないのです

一番の問題は

私らしい
自分らしい
を持っていなければならない

という思い込みです

 もともとなかった境界線を創り

 もともとなかった
私らしさ 自分らしさ
を創り

 それがないと
あたかも

生きている資格がない

というような
 強迫観念を植え付けられていく

 そうやって創られた
「私」
というエゴが自らを苦しめる

 
私らしさ 自分らしさ
を持っていないのであれば

社会化した人々のエゴの中で

流されてみるのも

一つの手です
 
なんとなく直感で動いてみるのも

一つの方法です

 

『わらしべ長者』という
昔ばなしがあります


むかし、むかし
ある村に貧しい男がいました。

その男は貧乏暮らしを何とかしたいと
観音様にお祈りしました。
すると観音様からお告げを受けます。

「お堂を出て始めに触ったものを持って
旅に出なさい。」

さっそく旅に出た男は
つまずいて転んでしまいます。
すると、一本のわらしべ(藁)
が男の手に触れています。
そこでお告げのとおり
そのわらしべを持って
旅を続けました。

途中で顔のまわりに飛び回るアブを
わらしべの先に結び付けながら

しばらく行くと親子連れに会います。
その子供は大泣きをしており
お母さんはとても困っていました。
ところが、その男の
わらしべとアブを見た子供は泣き止み
それを欲しがりました。
お母さんから
「持っている密柑と交換してくれないか」
と頼まれて交換します。

次に会ったのは喉が渇いた商人です。
商人に密柑を渡すと
商人は上等な反物をくれました。

次に会ったのは弱った馬を連れた侍。
急いでいた侍は
馬を始末するよう家来に命じて
行ってしまいます。
可愛そうに思った男は
家来に馬と反物を交換してもらいました。
男は大切に馬の面倒を観ると
なんと馬はすっかり元気になりました。
男はその馬と共に旅をつづけました。

進んだ先で大きなお屋敷に住む
長者と会います。
その長者は馬を貸してほしい
と言いました。 
そして男に留守番を頼み
3年以内に帰らなければ
屋敷を譲ると言うのです。

屋敷の主人は戻らず
すべては男のものとなりました。

とさ…


そんなうまい話の物語
の教訓は

この男には

私というものがない

エゴがない

観音様のお告げといえども
最初に触ったものが
藁であった

その藁を大事に持って旅を続ける
素直さ

流されるまま
起こることを受け入れていく
素直さ

エゴを捨て去った素直さが
一本のわらしべを掴み取り
彼を長者たらしめた

こんなつまらないもの
こんなつまらない事
こんなつまらない人

などと
この男はいっさい思わなかった

私達は
「私らしさ」「自分らしさ」
というものが邪魔をして

こんなものは価値がない
こんな仕事は価値がない
こんな人は価値がない
私にとって何の価値もない

じゃあ
何が自分にとって価値があるのでしょう
何が自分にふさわしいのでしょう


世の中の成功者のほとんどは
私らしさ 自分らしさ
どころか

自分は何者か
何が出来て
何が好きか

すら
わかっていた人は少ないのです

色々とやってきた先に
転んだ絶望の縁で
掴んだわらしべ

そして今がある

明確にやりたいことがあるなら
やったらいい
明確にやりたくないことがあるなら
辞めたらいい



どうしていいのか分からない
なら

無理やり
結論を出す必要はないのです

「私らしさ」「自分らしさ」
という呪縛から離れ

自分の心の琴線に触れたもの
すっ転んで最初に手に触れたもの

それを素直に掴みましょう

それが次へと繋がっていく
そして更に次に繋がっていく
人生の次に繋がっていく


 それが真実です





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