嫌いな人がいるということ

人間だれしも嫌いという感情があるかと思います。

それはモノでもコトでも人でも必ず存在します。

しかし人に関して言えば.その感情は思い込みである場合も多いように感じます。

そして人を嫌いになる、あるいは嫌いだと思い込む事は自分の人生にとってマイナスに働く場合が多いです。

例えば食べ物であれば味が嫌い、匂いが嫌い、食感が嫌いといった具合にあると思います。

そしてそれはまだ食べた事のない食べ物が自分の好みに合うかどうかを食べずしてある程度の予測を立てるのにも役に立つ場合もあります。

もちろんその結果食わず嫌いをしてしまう事にも繋がる可能性がありますが.大抵の場合は自分の好みであるかどうかをかなり高い確率で予測する事ができるようになると思います。

その点で言えばどういった食べ物が自分は嫌いなのかを知る事がプラスに働く事もあると考えられます。

では人に関しても同じであるかと言えばそれは少し違ってくるのではないかと感じます。

そもそも人を嫌いだと感じる場合に多いのが先にも書いた通り.それ自体が自分の思い込みである可能性があるという事です。

なにかを嫌いになるには情報が必要であると思います。

食べ物にしろなんにしろ.その対象となるモノに関する情報がなければそもそも好きか嫌いかの判断はできません。

そしてそれは人に関しても同じです。

そもそも人の事を嫌いになれる程.人の事を理解する事はとても難しいことだと思います。

それでも嫌いという感情が芽生えちゃうんだから仕方ないだろうと思うかもしれないですが、それこそが嫌いという思い込みであるということだと僕は考えています。

その人の情報が充分でないのに嫌いと判断してしまう場合に多いのが.その人と関わっている時の自分自身が嫌いであるということだと考えられます。

その人といると劣等感が芽生える、あるいは自分の中に相手を憎む醜い心が現れるなどがあります。

その不快感をその人の事が嫌いな為に覚えている感情であると結びつけてしまっているのです。

でもその人といる時に芽生える感情なんだから同じじゃないの?と思うかも知れないですが、そこは明確に違うと考えています。

その人といる時の自分自身が嫌いという場合.それは自分自身の課題であるという事になります。

その感情を抱いてしまう自分をなんとかしなければ.その対象となる人を遠ざけて関わりを持たないようにしたところで.また別の人に対して同じようになってしまう可能性を残してしまっているからです。

それに気づかずにいるとずっと誰かに逆恨みをし続ける人生を送ることになります。

嫌いな人がいる、あるいは嫌いだと思い込んでいる人がいると自分の人生の時間をその人にいくらか捧げてしまうことになります。

それは距離を置いて関わらないようにしても同じです。

嫌いになる.もしくは嫌いだと思い込むに至った経緯や経験自体はいくら関わりを絶っても消えません。

その記憶は逆恨みを続ける限り残り続け、たまに頭の中に蘇ってきては感情を支配してきます。

なんにせよ自分が不快になるような存在に一瞬でも時間を奪われるのは人生において無駄でしかないと思います。

なので人と関わった時、自分が不快な思いをしていると感じた時は.安易に対象となる人を嫌いだと判断するのではなく.不快に思う自分自身がまだまだ至らない人間であるのだなと考えて.自分の課題として消化する事ができれば自分の人生の時間を他人に支配されずに生きていけるのかなと感じました。


以上でーす。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?