僕のラグビー人生(大学生編〜回顧録〜)

最近は、僕のパレルキャリア編を掘り下げるために記事を書いていたり、先日初のオンラインラグビーパーソナルコーチング、『かじゅラグ』オンラインを実施しました。それについてはまた別の機会に詳しく書きますね。アウトプットの時間が増えてくると中々準備が大変だと感じています。笑 

そんな中、有難いことにtwitterのメッセージの方に大学生からの問合せが増えています。大学生と一口に言っても、様々なカテゴリーでプレーしていたり、怪我の状況であったり、就職活動をしていたりと、質問の内容も様々です。自分も相手も時間が限られているので、話を聴き出来るだけ的確に自分の考えを伝えるためには、あらかじめ話し合う材料を整理しわかりやすくすることが必要であるなと。noteに自分の考えを投稿することで、事前に読んでいただいた上で効率よく話せることを少しずつ実感しています。ということで、今回は大学生に向けたラグビーの進路相談について書きたいと思います。

今回は『大学生の時の話』『判断基準について』の二つの観点から記述し、最後に結論を書く形にします。それではいきましょう。

『大学生の時の話』:僕は関西学院大学体育会ラグビー部に所属していました。学部は総合政策学部学科だったのでグラウンドがある上ヶ原キャンパスではなく、そこから電車とバスで一時間以上かかる三田キャンパスで授業を受けていたので、とにかくそれがキツかった。という学生時代の思い出があります。笑 そんな話は置いといて、ラグビー部では大学二回生から公式戦に出場させてもらい、大学三回生の時は仲間に恵まれ、関西Aリーグ開幕戦で49年ぶりに同志社を倒し51年ぶりの関西制覇。大学選手権も当時対抗戦3位だった日体大に勝利し、大学選手権ベスト8という結果。大学四回生の時はバイスキャプテンとして関西二連覇。大学選手権は残念ながらベスト8で敗退し、国立でプレーは出来ませんでした。

ラグビーの進路でいうと、大学三回生の終わりに4チームほどスカウトの声をかけていただいたのを覚えています。そのうちの2チームは栗田を含む下部リーグのチームから具体的なスカウト。2チームはトップリーグチームを含む、一度練習に参加してほしいといった内容でした。言葉だけ並べると中々良いように聞こえるのですが、実際の僕の大学生活は厳しいものでした。実は僕はその時点で留年することが決まっていたのです。当時、学部には語学の試験がなく、出席と約10回分の宿題10点満点で合計60点以上取れば、パスできるという仕組みでした。語学の授業は平日5日間のうち4回、そのうち2回が4限もしくは5限に入ってくるので平日の練習に2回分出席できなくなってしまうのです。過去にも総合政策学部の先輩でラグビー部に入部した人は皆途中で退部していました。なので僕が入部した時にもラグビー部の先輩から続けられないよ。と何度も言われたのを覚えています。一回生の時は満足に練習に出れず実力もなかったので、ずっと一番下のチームでインゴールの外の空き地で練習をしていました。それが悔しくて僕は試合に出たかったので、大学二回生の時に3限までで切り上げて練習にフルで出ることを選んだのです。その結果、僕はAチームで試合に出れるようになり、語学の単位を落とし留年が確定してしまうのです。。。話を戻して、僕は大学四回生が終わってから就職活動をすることになったのです。

『判断基準について』①ラグビーをしなかったら:このnoteを読んでくださる方の中に就職をするかラグビーをするか考えている人もいるのではないでしょうか?僕はもし自分がラグビーをしなかったらとにかく海外で働きたかった。業種は貿易業界、人材業界、この二つの業種で就職活動をしようかなと考えていました。余談ですが、当時周りの就活生が自己分析をしたり、OB訪問をして業種について調べたりする姿を見て、自分のことは自分が一番わかっているし、やりたいことや働いてみたい業種なんてある程度決めれるだろう。と若干尖った意見を持っていました笑

②ラグビーをやると決めた:そんな僕ですが4回生の時にラグビースランプに陥ってしまうのです。一番の理由は自分の実力不足なのですが、バイスキャプテンだった僕は当時のスタッフとまぁぶつかっておりました。笑 関学ラグビー部は学生主体という言葉をかがげ、僕たちの時はフルタイムのコーチはおらず基本的に平日は自分達でほとんどのことを運営しなくてはなりません。練習メニューを決めたり、風紀的なことも含めやっていました。なぜか同期25人中BKが5人程度しかおらず、それもかなり負担になっていました笑 そんな中で国立競技場に立つために(大学選手権ベスト4)やっていくので、4回生は自分の練習どころではなく本当に大変です。当然、自分のプレーが上手く行ってないのにチームのことを考えてスタッフにあーだこーだ言うわけですから評価はガタ落ち。笑 四回生の時は本当にラグビーをすることが苦しかったのを覚えてます。シーズンが終わってからようやく自分のラグビーって一体なんなんだろう。と落ち着いて考えていた時に、最後の納会であるファンの方に言われた一言に心が動かされました。雑談をしていたのですが、そのファンの方から「色々あったのかもしれないけどもっと片岡くんのプレーを見たかった。」と言われてハッとしました。大学生の時にチームが決めた好きな言葉[勇気と感動を与えるプレー]を目標としてやっていたのに、いつしか自分のことばかり考えて、自分だけが苦しいと思っていました。自分のラグビー はそうじゃないだろうと。よし!この先もラグビーを続けよう。もっと大きな視点でラグビーを捉えて試合に出続けよう。みんなに喜んでもらえるようにプレーをしよう!後悔のないようにラグビー人生を生きようと思ったのです。

③就職活動ラグビーをやると決めた僕の就職活動はシンプルでした。脇目も振らず、社会人でラグビーを続けるために就職活動をする。当時の僕は三つの基準を持って就職活動をしようと考えました。それは「仕事とラグビーの両立」「関東圏のチーム」「五回生の時間を自由に過ごさせてもらえる」の三つ。学生の時の僕は仕事とラグビーを両立させること、またさせている選手のことを凄くかっこいいなと思っていました。今プロ選手になったのですが、その気持ちは今でも変わっていません。僕は引退したら海外に勤務したかったので、仕事とラグビーの両立を目指しているチームに行きたかったのです。二つめは関東圏のチーム。大学時代から関東のチームは強くラグビーが盛んなイメージがあり、とにかく関東圏でプレーがしたかった。そして出来れば職場が東京都内。東京で働くことでラグビーとは別の世界で頑張る方と話をしたり食事をして自分の視野を広げたかった。もう一つは五回生の時にオーストラリアに短期留学をしてラグビーをするということ。少しだけ誰も自分を知らないところに行ってラグビーをしたいという逃避願望もあったと思います。それらを踏まえて就職活動をしました。栗田を一般採用で受け内定を頂いたので、結果的に一社だけにエントリー内定。そういった形で僕は就職活動を終えました。大学5回生の一年間はゼミの単位しか残っていなかったので、内定後にオーストラリアのシドニー大学に三ヶ月間だけ短期留学。帰国後は大学の練習に入れてもらったり、人生初のアルバイトをしながらのんびり過ごしていました。オーストラリアに留学してから少しだけ世界観が拡がった僕は、大学を卒業する前に自分は1年後、3年後、5年後、10年後どうなりたいのか?と考えノートに書きました。いろいろ書いた中で達成できなかったことは2つ。[日本代表になること][ラグビーを引退して海外で働くこと]でした。

こんな感じで大学生活を終え、社会人へと繋がっていくのです。

結論に行き着くまでの前置きが長くなってしまった。。。結論は次の記事に書きたいと思います。実は回顧録と結論の二記事を同時にアップしようと考えていたのですが、結論の方が内容が濃くなりすぎて、まだ纏めきれず。。。

今回の記事は煎餅でも食べながら読んでもらいたいです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?