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ミツさんのイチブトゼンブ

初めまして!
長引く腰痛の治療家 ミツさんです。
タイトルにピンときた方はB’z好きですね😍


まずはざっくり自己紹介↓

・理学療法士17年延べ5万人以上に施術
・学びへの投資は300万円以上
・ソフトな施術で筋肉を緩めるのが得意
・恵比寿で髪を切った帰り道は、そのパッツン前髪と、冬でもサンダルの足元への視線が強めw



ざっくりすぎますねw
生い立ち〜現在に至るまでも読んでもらえると嬉しいです(長くなります)↓↓


広島県出身の38歳
身長160cm体重53kg
好きなことは、妻と娘といっぱい笑うこと😄
自然🍀とコーヒー☕️が大好きで常にアンテナを張っています。

野球とサッカーはプレイするのも観戦も好きで、氣付けばカープとサンフレッチェの情報収集してる⚾️⚽️

【生い立ち】
広島県瀬戸内海沿いの小さな島で生まれ、ノビノビと育ちました。

生後間もない頃からアトピー性皮膚炎があり、物心ついた頃には通院・飲み薬・塗り薬での対処が定着していました。

小学生の頃は学級委員をするなど、マジメでまとめ役も好きだった記憶があります。
背の順で並ぶ時は常に最前線をキープw
小学3年生の時にイチローブームが起こり、それ以来のファン。

中学生になると陸上部に所属し、800mや1500mでそこそこ活躍💨
同時に、思春期の反抗期や友達同士のいじり合いなどもあって、人前に出ることやまとめ役をすることもなくなりました。


【理学療法士との出会い】
高校生でも陸上部に所属しましたが、中学生の頃ほど熱意を持てずサボりがちに。
また、まぁまぁ進学校に行ったのですが、自分でも驚くほど勉強についていけず、学年240人中200番以降が定位置。
とひどい有様。マジメな自分も、学校へ行く意味も見失っていました。
それでもなんとか部活は続けていたのですが、そんな状態で走ってもケガばかり。
日常生活にも支障をきたすほどの腰痛や足の痛みに耐えきれず、とうとう病院に行くはめに。

そこで出会った【理学療法士】の方のおかげで、無事に痛みなく走れるまで回復。
このきっかけが、僕の眠っていた熱意を叩き起こしてくれました。

「自分も困ってる人の力になりたい!そんな仕事に就きたい!」という氣持ちになり、それまで聞いたこともなかった理学療法士という仕事について調べ、どうやったらなれるのか、どこに学校があるのか、偏差値どのくらいか(⇦ここ重要🤣)。
それまでは学校辞めるか、行けそうな大学に目的も無く行くか。。。という状況だったので。。。

まさかこんなきっかけで自分の進路が決まるとは思ってもいませんでした。

そして、無事に小論文と面接だけの特別推薦に合格し、専門学校に入学💮


【高校卒業後】
専門学校に入学し、久しぶりに勉強に前向きに取り組めるようになりました。
聞き慣れない専門用語に戸惑いながらも、目的があったので投げ出すことなく継続。
4年生になると長期の実習があり、「もう2度とやりたくない!」と心に誓うほど、朝方までレポート作成、文献調べや実技練習に明け暮れ、最後は気合と根性でなんとか乗り切るw
そして、無事に国家試験も合格💮💮💮
22歳の4月、晴れて理学療法士になることができたのです😭


【社会人時代】
ピカピカの社会人1年生✨✨
6年越しの夢を叶え働き始めた頃に、ジワジワと忍び寄るアトピーの悪化。
専門学校時代から始めた1人暮らしで荒れ始めた食生活は社会人になり徐々に悪化。慣れない仕事のストレスも重なり、気付けば肌は真っ赤でボロボロ。皮膚科に通い、ステロイドの塗り薬や飲み薬で耐え忍ぶ日々。
それでも仕事自体はやりがいを感じ、勉強会で全国に足を運ぶ。高校生の頃に感じていた閉塞感が遠い過去のことのよう。
この頃に今の妻と出会い、結婚もして幸せな日々。

転機は社会人4年目の春。
なんと平社員からマネージャーに飛び級で昇進!!(きっかけは前任者への文春砲炸裂🤣)

【暗黒時代①】
26歳でいきなり管理職となり、30人のスタッフを束ねていくことに。
話を受けたときは「カッコいいじゃん」というミーハーな氣持ちがあったのも事実。

でも現実はそれほど甘くない🤣
『スタッフ全員の人生まで背負って進むぞ!』というバカマジメな重〜い意気込みが長く続くはずもなく。。。2年後にはストレスが限界突破し、アトピーとうつ状態で心身だけでなく肌もボロボロ。起き上がれなくなり3ヶ月寝たきり生活。自分1人の人生を背負うことすら出来なかったのです。


【やっぱり理学療法士でありたい】
妻の献身的な看病のおかげもあり、無事に回復。そして退職しました。
と言うのも、「やっぱり理学療法士でありたい!」という氣持ちに嘘はつけなかったから。
管理職になってから、理学療法士としての仕事は1/3程度に。まだまだ理学療法士としても半人前と思っていたので、その葛藤は相当なものでした。

今後の人生を考えた時に、僕の中では管理職としてよりも、理学療法士としての腕を磨いて食べていくという覚悟が決まった瞬間でもありました。
決めてからは、ありがたいことに次の職場がトントン拍子で決まり、腕を磨くことに集中して取り組むことができました。


【人生を加速させてくれた3人】
腕を磨き続けること2年。
今振り返ると、実はこの間に、その後の人生を加速させてくれた3人と出会っていたのです!!

1人目は、
今でも理学療法士としての師匠となる脇元先生。先生の主催する勉強会に参加した時の衝撃と言ったら今でも鮮明に覚えています。指先でちょこんと触れただけ。たったそれだけなのに痛みが消えるんです。10年経った今でも信じられません。そんな脇元先生から、ヒトの身体とは何か?どう対応したらいいか、どう考えていけばいいか、といった今でも理学療法の土台となる考え方、治療法を教えてもらいました。

2人目は、
黒田さん。めちゃくちゃ顔が広い方なので、出会ったきっかけや、黒田さんが何してる人なのか未だ分からないままですがw
「石みっちゃんまだまだ若いんだから、自由にやりたいことやればいいのに」
と言ってくれたこと、しっかり覚えてます👍これまでそんな風に言ってくれる方はいなかったので、風穴ぶち抜かれたような感覚と同時に、一氣に視界が開けました。

その直後に出会った3人目が、
レアードかなさん。黒田さんの一言をきっかけに、僕は夢だった海外留学をやってみようと情報を探していた中で出会いました。
そもそも、なぜ海外留学したいと思ったのかは、イチローと中田英寿の生き方に憧れてたというミーハーな理由w
現実的な理由としては、脇元先生に教わったホリスティックヘルスをもっと学びたいと調べていたところ、当時の日本ではGoogle先生でもあまりめぼしい情報が見当たらず、出てくるのはアメリカの情報ばかり。
そこに黒田さんの鶴の一声。
そっか!外国で学ぶのもありじゃな!という発想の転換から、かなさんに辿り着きました。
ここもトントン拍子で話が進み、世界最大の統合栄養学校への入学と、1年以内のカナダ留学が決まったのです🇨🇦

ここでまた大きな壁が。
英語。そうEnglish。高校で勉強サボってた僕の大きな大きな言葉の壁。
全部英語のオンラインスクール。
2015年当時のGoogle翻訳の能力は、僕よりちょい上くらい🤣🤣🤣(文章化すると改めて絶望的状況🤣)
フルタイム仕事しながら、夜と朝にスライド翻訳して、通勤中の車の中で音声ファイルを流し(ほぼほぼ言ってる意味を理解できてなかったので、ほんとに流れてただけ)、毎月5人グループでのskype(当時はまだZoomなかったよね)  、3ヶ月に1度の試験。
円形脱毛症になりながらも、ここでも妻のサポートを受けながら、かなさんにも助けてもらいながら、なんとか卒業できました✨✨✨

この卒業前にカナダ留学始まったので、留学準備もモロ被りでしたね😂

【カナダ留学】
孔子は「人は30にして立つ」と言いましたが、僕は30にして夫婦でカナダ留学し、保育園1年生状態🤣
それくらいのカルチャーショックと言葉の通じなさと、人の優しさ😭
それでも最初はレアード家にホームステイさせてもらいながらだったので、かなり恵まれた環境でした😭甘えすぎて当初の契約終了日に気付かず、次の部屋も見つかっていなかったのでそのまま延長させてもらうという家なき子一歩手前。
語学学校では13歳の中国人、18歳のサウジアラビア人、35歳のブラジル人、50歳のスイス人etcまさに多様性社会。それぞれつたない英語でなんとかコミュニケーションを取るというカオスな状態。
最初の2ヶ月目くらいまでは、すぐ日本に帰ることになるんじゃないかと本氣で心配していました。
無事に部屋も見つかり、皿洗いのバイトをしながらフリーの理学療法士として働きつつ、普段の買い物や散歩の毎日が観光氣分。
10ヶ月後には小学1年生くらいまでは成長して、すっかりカナダ生活にも慣れて、憧れの海外留学を終えました。


【暗黒時代②】
帰国後、サッカー選手のコンディショニングに関わる仕事がしたい!!という決意で就活。
その先は、FC今治。
そう、あの元日本代表監督の岡ちゃんがオーナーになったばかりのあのチーム。
なぜその選択肢になったかって、カナダ帰りの自分は無敵で何でもできる!!くらいに思ってたから🤣浮ついてたわけでも調子乗ってたわけでもなく、ただただ自分を信じてた。
もちろん、そんな自分が採用されるわけはなくあえなく撃沈。それでも、岡ちゃんと直接会って話せたことは自分にとって、今でも財産。

その後、ちゃんと就職するわけなんですが、
ここからが暗黒時代②の始まり。
当時の上司とまあ合わないこと。人と合わないことがこれほどまでに苦痛なんだと初めて知りました。
そんなストレスフルな毎日は身体を蝕んでいきます。
またやってきたのです。アトピーの悪化。前回以上に肌はボロボロ。朝起きた瞬間、肌着と皮膚がくっついてるんです。少しでも動こうとすると剥がれようとするので痛い。掻きたいけど掻いたら荒れる。どうしようもできませんでした。前回よく効いた漢方薬も今回は全く効かず。最終的には入院したほうがいいと言われ、手続きに入るも、空室がない。空くまでこれで凌いでと処方された強いステロイド。もう抵抗する氣力もなく、妻に塗ってもらっていました。3日後にはだいぶ肌が再生して、入院は回避。その後も見違えるように回復して「観念すること」を学びました。

【サッカー選手との出会い】
そんなストレスフルな職場から転職した先で、偶然サッカー選手とのご縁に恵まれました。
当時小学5年生でしたが、「全国大会で優勝する」と自信を持って言っていたことを昨日のことのように思い出します。
そんな選手をサポートしながら自分も多いに刺激をもらい、学びの幅を広げて更に腕を磨いていきます。
そんな充実の日々を過ごしていました。
そして6年生最後の全国大会。
彼らのチームは見事に全国大会で優勝しました。キャプテンとして、エースとしてチームを優勝に導いたその姿に感動しました。

【37歳での上京】
その頃はコロナ禍真っ只中でもあったおかげで、オンラインで多くの方と会うことができました。そこからの不思議なご縁が繋がっていって、
1週間のうちに、全く別の3人から
「ミツさん半年後くらい東京に来てるんじゃない?」
と言われ、
自分の中でも「???」

「え、呼ばれてる?」
「東京?住むとこじゃないでしょ?」
「37歳で妻も子どももいるのに、今?」
「まぁ妻に相談してみるか」

からの、
妻あっさり「いいんじゃない」🤣🤣🤣

あ、いいんだ。
ってことで3ヶ月後に上京してました🗼
これが2022年3月のお話。

【そして、現在】
2023年4月、好奇心旺盛で飽きっぽい僕が、17年も理学療法士を続けていられるのは、
患者さんからの「ありがとう」の声と、
目の前の患者さんの力になりきれなかった無力感、
この両方があったからです。
ここまで出会ってきた方のおかげで、もっと腕を磨きたい。もっと早く良くなる方法を伝えたい。もっと多くの人に痛みから解放されて欲しい。こんな思いに駆られてここまできました。

これだけ情報が溢れ、便利なモノが増えているのに腰痛に悩む方は後を絶たない。痛みって、ただ痛いだけじゃなく、やりたいことまで制限される。その辛さを知っているからこそ、困ってる方の助けになりたい。痛みから解放されて、やりたいことできる本来の自分に還って欲しい。そんな方を1人でも多く増やしたいという氣持ちでこの活動を始めました。

延べ5万人のカラダを施術して分かった、痛みが長引く人の特徴は

「筋肉も思考もカチカチ」

とにかく頑張れば良くなるって思いが余計に筋肉を硬くさせる。

こうなってしまうと、一般的な方法じゃなかなか良くならない。

そんな方が圧倒的に多い世代が

「40代女性」

この世代は、仕事も家事も多忙で、自分にかける時間が少ないことがかなり影響していることが分かりました。

そのために総額300万円以上学びに投資して見つけた方法が
【筋肉を緩めること】


ここにたどり着くまではゴリゴリマッサージもしてたけど、気持ちいいのはその時だけ。
それよりも、ソフトな施術のほうが効果は長続きするし痛みの軽減も早い!!

この方法を施術を受けてくれた方だけでなく、遠方で施術を受けられない方にも届けるべく、オンライン講座作成中!

それは、「カラダの本質」を知ってもらいたいから!
腰痛を抱えている誰しもが
「こんなはずじゃなかった」
「もっとやりたいことあるのに」
「腰のこと気にせず子どもと遊びたい」
というジレンマを抱えている。
そこに対して、小手先の技術では叶うはずもない。
本質を突いた技術を提供することはもちろん、そこを理解してもらうことで、腰痛を自分で治していけるようになってもらうためだ。それが自信となり、本来のポテンシャルを発揮できる状態となる。

要は、お互いに「本氣」で取り組みたい。その先に望む結果を掴む。
ただそれだけ。
それだけで、あなたの周りの世界が変わるから。

【最後に、僕の幸せ】
・家族が笑顔でいること
・お日様に当たりながら自分の足で歩けること
・食べることwww
・大の字で寝ること
・愛すること、愛を受け取ること

このくらいの絵心でも表現できるくらいw単純なこと、日常のこと。
そんな、当たり前のようで当たり前じゃないことが、僕にとっての幸せです😍


これが、僕の一部であり全部です。
長文、最後までお読みくださり、ありがとうございます。

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