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質量の再発見-漂うエモい雰囲気-

落合陽一さん×奥山由之さんのトークセッションに参加してきました。
『お別れの歌』のPVは破壊力ヤバイ!!と感じていたので、
奥山さんどんな考えを持たれている方なのかという興味もあり、
とても楽しみにしていました。

普段から特段こだわりを持って写真を撮ったりしているわけでもなければ、
写真展に足繁く通っているわけでもない僕にとっても、
写真っていいなー、と感じさせてくれて、帰路にヨドバシカメラで
カメラを手に取るほどに心揺さぶられました。

”風の谷のブレードランナー”や”コンテクスチュアルな笑い”
そこにあるものはそこにないもの理論”、”水質が合わない”等
単語だけで振り返るとなんの話だったんだっけ?となってしまいますが
特に印象的だったのは以下のお話でした。

① エッセイ的な写真
② 匂いが漂う写真
③ 既存タグで括られないこと

① エッセイ的な写真
その人の視点によって切り取られた世界を見ることで、
その人が考えていることや感じていることを追体験することができる
確かに、著書を拝読したりWEEKLY OCHIAIを拝見したりすることで、
落合さんの視点の垂れ流しを自分の中で少しずつ補完していくことが
気持ち良かったりするなあ、と。

② 匂いが漂う写真
レンズ越しにトリミングした世界に映るありのままの姿を捉えていながら、
想像していることはその姿になるまでに歩んできたであろう道程である
写真から世界感が匂ってきたり、奥行きや記憶を感じるのは、視覚的に
切り取った世界には撮影者の背景や想いが見えるからなんだなあ、と。

③ 既存タグで括られないこと
〇〇っぽいとか〇〇の流れを汲んでいる、とか、
既存のタグを付けられ仕分けされてしまうとコンテンツとして消費されてしまい、人々の興味は別のものへと移って行ってしまう
人でもモノでもそれがそれとして独立し続けていることが生存し得る方法なんだなあ、と。

で、冒頭にも書いたように写真いいなー、と思った一番の理由は
当時の感覚を情報量が多いもので残していけるというところ。
昔撮った写真を見ると当時はぜんぜんダメだと思っていたものが、
そうでもないかも、って思うことが多々ある、というお話があり、
日記とかでもそうなんだけど、言葉よりも情報量が多いもので
今の自分を残しておくのはいいなー、と思いました。
撮影時の記憶とともに保存されていくものだと思うので、
それを振り返ることができるのはすごく良い。

というわけで、とりあえずはiPhoneで写真を撮っていきながら
Instagramに保存していこうと思います。

最後に一番好きだった街並みの写真を。
おわり。

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