見出し画像

ちょぴり悲しかったこと

わたしには、何年か前から憧れている発信者さんがいる。
その方はわたしよりも10歳年上。
わたしから見ると、やっぱり大人の女性って感じだし、いろんなことに挑戦されている姿がかっこいいし、それでいて雰囲気は柔らかいし、等身大で素直なところが素敵だな~ってずっとぼんやり見ていた。

最近自分の発信に夢中になっていて、いまnoteで繋がって下さる方たちの投稿しか見れていなかったんだけど、久しぶりにその方の発信を見に行った。

そうしたら、ある投稿が目についた。

その人を特定されたり、その人を批判したいわけではないから文章を完結に書き換えるけど、

結婚していたり、二人暮らししてるってことが分かった時点でフォローは絶対しない

そう書かれていて、ちょっと悲しかった。
言いたいことは、とってもよくわかる。
年齢も規模も全く違うけど、わたしは高校を卒業するまで一人も彼氏が出来たことが無くて、それまでの間はとても孤独を感じていて、キラキラしたSNSの投稿が見るのが辛い時期もあったから。

それにこの発信には、賛同の言葉もたくさんあった。

わたしはこの投稿を見たからって、この方のことが嫌いになることは絶対にない。
だって、今回悲しかったことなんかと比べ物にならないくらい、この方の発信に助けてもらった経験があるから。

でも、「結婚してる」それだけで避けられることもあるのか…
そう思ったら、ちょっぴり悲しくて、切なくて、寂しい気持ちになったのだ。

生きづらさを抱えている人に向けて、世の中に綺麗に馴染めない人に向けてが多くを占めるその発信たちは、自分に向けてのものでもあるとわたしは信じていた。
でもその投稿には、こうも書いてあった。

自分と同じように、世の中にも馴染めなくて、パートナーもできないお一人様と繋がっていきたい。そういう人に向けて発信しています。

そうだよね。
人とのつながり方も、だれの投稿を見るかも、だれをフォローするかも自由。
実際わたしだって、情報過多が苦手で、感情移入しすぎたり、誰かの辛い想いをしている投稿を見ると苦しくなりすぎるところがあるから、投稿を見るときは警戒するときもあるもん。

それと同じように、人が幸せそうなところ(その人にとってというより、自分が羨ましいと思うような幸せの形)を見ると、胸が締め付けられる想いをする人だっているんだよね。

その気持ちがとっても理解できるから、わたしはその方のことを応援し続ける。
いまでも大好きな発信者さん。
でも、ちょっと悲しかった気持ちは浄化させたくてこの記事を書いた。

わたしはたまたま出会いがあってタイミングが合って級生の中では早いうちに結婚できたけど、それまでの恋愛は全く上手くいかなくてぼろぼろだったし。
社会にも適応できなくて病気になって寝たきりになっちゃったし。
わたしもその方と少なからず似た境遇があったから、「仲間」みたいな風に思って投稿を応援していたかったな。

わたしがどれだけ記事に共感しても、向こうからしたらわたしは「ちょっと苦手な人(結婚しているから)」と思われてしまうと知って、なんだか悲しかった。

それから、もうひとつ。
発信をしていくと、普段どれだけ良い投稿をして人を助けるようなことをしても、ひとつの発信で相手を傷つけてしまうことがあるんだと学んだ。
わたしもいままでの投稿で、知らず知らずのうちに人を傷つけていたかもしれないんだ。

そう思ったら、文章を書くのがすごく怖くなる。
もちろん辞めないけど、なるべくだれも傷つけず、優しいnoteにしたい。

でも、記事にしていてふと思ったけど、発信をする上でペルソナを決めるのが大切っていうじゃないか。
わたしの場合、「生きづらさを解消したい人」「自分らしく生きたい人」「好きなことで働きたい夢追い仲間」みたいな感じに思っているけど、本当はそれってぼんやりしすぎらしい。

この性別、年齢、趣味、どこに住んでて、どんな家族構成で、
そこまで決めて発信するのが良いらしい。

でも、わたしは「わたしの投稿を好き!って思ってくれてる人」だったら、その人の性別も年齢もなんだっていいし、嬉しい。
これって発信者としては間違えているかもしれないけど、やっぱりこれがわたしのスタンスなんだよな~。

気持ちを吐き出してしまって、少し罪悪感があるけど、忘れちゃいけないことな気がするので記事にした。
わたしはわたしのスタイルで、これからも進んでいこう。
そしてあの発信者さんのことは、これからもずっとひっそりと応援しよう。
わたしが直接的に愛を伝えるのは、もしかしたら負担になってしまうかもしれないから。

うたたね

よろしければサポートお願いします...! クリエイターとしての活動に使わせていただきます❤️‍🔥