上間春緒official site

 ハンドルネーム春緒うるま(ハローウルマ)で詩歌詞をネット公表してました
haruo uema(上間春緒)名義で英語詩を創作。再び小説へチャレンジしようとする。
Poetry talker~ haruo uemaのofficial site

このページでは「おススメ」の記事と「上間春緒」の自己紹介、私生活を掲載します。

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「おススメ」の記事

 自己表現としてスポークンワードや琉歌をしてます。朗読のようなものです。この流れで詩の書き方も自分流ですが詳しく説明してます。
サイトを紹介します。



上間春緒の自己紹介

 1955年に生まれたらしい。私自身は覚えてない。
場所は沖縄県の本部町。美ら海水族館のある地域です。
小学生のころに自己表現の方法として詩を選ぶ。
「欲しいのは人間の笑顔」と分かる。
少年期に決めた方針は変わることがなく続いている。

性格

 見た目より適当に生きている。『好奇心旺盛だが飽き性。拘るくせに移り気』

 これだけは続けている、と言えるのが人間観察。それで、相手に合わせてみるが、人の心は難しい。
自分で思うより執念深いと感じるときもある。お釈迦様の説く煩悩を受け入れたら納得して悩むこともない。

 人間と付き合うのが苦手で、あまり深く関わりあったり、ずるずる引きずる関係からは遠ざかる。
他人へ「おおらか」ということ。だから優しい人だと勘違いされる。

特技ー猫かぶり。作曲みたいに音を鳴らすこと。

趣味と関心

 趣味は多いが長続きしない気紛れな部分もある。得た知識も「ポケットは多いが底が浅い」と表現できる。
いつまでも素人を自認している。専門的な深い知識よりも各分野を理解する柔軟な考えをしている。
 関心はあるが特別な思いはないとの立場。
政治や宗教に於いては特に中立を維持する。独自の考えを持っているから。
健康や金儲けも同じだが、より良い方向へと情報を吟味する。

沖縄で生まれて 沖縄育ち。純粋100パーセントの「うちなんちゅ」
自慢というか「東京の方ですか」とよく言われる。
琉歌も創りますが、「沖縄の言葉を詳しく教えて」と言われても知らない。

純粋100パーセントの「うちなんちゅ」
純粋100パーセントの日本人
純粋100パーセントの地球人 (だと思う)

「私」~「上間春緒」の心の内宇宙

 心模様を振り返ってみます。幼年期の不思議な出来事から始まる「新しい言葉」を探す人生の旅です。

幼年時代

 初めに言葉があった。
バス停の近くにある木陰で 何人かが柔らかい口調で話している。そこから丸いものが弾んで 車道へ転がってゆく3歳ぐらいの女の子が追う。
「危ないよ」
 子供を制して 車道へ向かう私も 未だ幼稚園生だ。もっとも当時の田舎道は めったに車が走らない。
それでも親に躾けられたこと 社会のルール。
 その丸いものはゴムマリ 女の子の遊び道具。
ビックリして 親らしい人たちのところに戻っている女の子へ渡す。
これが初めての出会い。

 ひと通り礼と挨拶をすると一番年長らしい女性が声をかける。
「私たちが分かりますか」
 頷く 何者かは分からないが たぶんバスを待っている。地元の人間ではない。そいうのを気づいている。
「あなたは新しい言葉を手に入れます。それまで語ることは止めなさいね」
 女性の声に頷くが「無理でしょ」と思う。
見透かしているらしい小学生ぐらいの女の子が言う。
「話すと語るは違います。それが分かるときに新しい言葉を手に入れるから」
 分からないが何故か愉快な気持ちになる。きっと この出会いは悪いことではない。

 やがてエンジン音 バスは来たが普通のバスではない。いつも見るバスより小ぶり いくつもあるガラス窓に笑顔が並ぶ。
乗り込む人たち 3歳児の手を引いて最後に乗る女性。
「あなたは語ります。いつか思いだすから」
 意味不明 しかし 彼女の笑顔は 「何かを期待している」 と感じさせた。

検証してみる

 「日本語」を使っていたか疑問が残る。かといって地元の言葉でもない。 なぜ通じたんでしょうか。
 たぶん、単語を並べて通じる感じだったと予想される。言語や人種は不明、それは意味のない事かもしれない。 分かることは「新しい言葉」が話す内容だということ。

少年時代

 初めに文字があった それが全ての始まり。
基本的に国語 算数 理科 社会を学ぶ。絵画 音楽 体操と付属する。さて 何が興味を持たせるか。
 思考は哲学から学ぶことが多い。それで宗教だが、矛盾に気づいてしまった。

興味は漫画。文字と絵が情報源として馴染みやすいから。 欄外記事は参考になる。「文字は言語か」とも考える ある意味で当たっている。

 少年時代も半ばになると将来を具体的に考える。
「何をやりたい」「何が欲しい」
 この2点を決める。

 何をやりたい 自己表現という当たり前のことを思う。それは当然であるし 何で自己表現するか。
 何が欲しい 幸せ当然でしょ 幸せの定義として心の安らぎ。
それなら人の笑顔をみたとき。
 これで決まる。自己表現の方法を追求して笑顔を他人へ求める生き方です。

 文字が全ての始まりだから 詩での自己表現。欲しいのは人の笑顔。それで仕事になるのか。
 否 少年時代は純粋にやりたいこと、欲しいものがある。
仕事とは何か「資本主義」では働いて食事や住居にお金を使うらしい。
それなら、仕事はなんでも良い。
 どちらにしても経験と数多い出会いを待っていたのが少年時代。

 偶然にも「話すと語るは違います。それが分かるときに新しい言葉を手に入れるから」と言ってた女の子に逢った。そのときの言葉です。

『あなたは どこでスタートしますか 何か他人の目を気にしてますか
それより自分を表現する方法が見つかったとき
人は幸せだと感じるものですね
それは あなたが表現方法を見つけたとき
他人の評価を考えるより
自分の思いが上手く表現できたら
朝日は歓迎して迎え入れるでしょう』

この言葉から人生のすべてが始まる。

青年時代

 初めに夢があった。それは生き方を思考することになる。
当時は その姿がまだ見えない。分かるのは少年時代の思考を実行に移すとき。夢は「自己表現の完成と多くの人の笑顔」
 なにをすれば良いか。小さな目標を達成してゆくしかない。社会の歯痒さ 人間の複雑さ。こういうのを解決する単純な答えがある気がした。
 やがて夢が具体的な形になるるのは壮年時代。

壮年時代

 初めに己があった。
自己表現と人の笑顔を同時に手に入れる方法は難しい。そして初めて自己へ関心を持つ。すべては自分の中で創造する世界。
 考えれば「自己表現」も自分自身を分からないでは始まらない。
 今まで考えたのは「他人は自分自身の世界」を持つ。私も同じじゃないか! 
それなら純粋な自己表現へ戻るのが一番良い。
新しい言葉は「そこから」誕生した。今も壮年時代は続く。

「生」~生き方。shougan天然流

 心の内宇宙で産まれた思いは「思想」となる。
 知識を捨てた十代~無理して覚えなくても記憶は残ると分かる。
思想的には哲学や宗教を参考にした。一番大切なのは、やはり「慈悲と慈愛」です。
 さて、世間を見回すと知識が豊富な方は多い。しかし、辞書を開けば分かる事を並べ立てても興ざめでしょ。それで、覚えるよりは書かれたのを持っておけば良いと考えた。無理して覚えることはない。記憶に残るのは残る「予習と復習」をしていたら大丈夫。これは今の時代に携帯電話でweb観覧できるようになって便利になったと実感する。
 知識より人間として「どうあるべきか」を考え続けていた十代です。

 人間とは何か
 人間として共通するのは「欲望」「幸せを願う気持ち」そして「自己表現したい思い」を持って居る。
 哲学や宗教では解決されない悩みを持つ方も多い。それは「哲学や宗教」で規則など何かに縛られるから、新たな苦痛が生まれるわけ。
 自由といっても我儘だと他人の自由を邪魔する。人間は相手より優位に立ちたい思いも強い。これじゃあ「いつまでたっても」満足できない。
 ある部分で「完全じゃないのが人間」と納得している。
青年期までは「琉歌や天然自然」を重要なキーワードとして捉えて自己表現方法を考えて行く。

天然流の基本「雰囲気」との出会い

 ある方が「争いも良い雰囲気をお互いに求めれば収まる」と御話しなされた。
これだ!
 私がさがしていた「ひとこと」は雰囲気です。
お釈迦さまやキリストも「良い雰囲気」で生きることを教えている。
あの世が何とか決まりごとが何とか、これは信じさせるための潜望鏡。

 良い雰囲気を求めれば自然と慈悲とか慈愛は心に生まれてくる。
さて、十代からの思想は形ができた。あとは自己表現。
他人の笑顔を見るためには何をするか。良い雰囲気を作る生き方で良い。
自己表現で可能か。否、そうじゃない、と誰かがささやく
「自分のため」だと幼年時代を思いだした。
 やがて新し言葉は文章修行の果てにある自然体だと理解する。
美辞麗句や難しい文字を並べても気持ちは晴れない。もっと叫べ、と誰かが呟く。
 それなら単純に話し言葉で良い。それが「生き方」で良い雰囲気に通じる。
思考と自己表現が一体となる。
 ただ、文章でどこまで表現できるか。最終的に歌うしかないか。音程とリズムを楽器に合わせるのは無理だが。
 曲をかけて朗読する形を実行する。これがスポークンワードと知るのは後日。 
これなら思想を表現する形も可能性がでてくる。
良い雰囲気を作る「shougan天然流」と「スポークンワードポエトリー」そして「現代琉歌」がこれからの生き方の主流になる。つまりライフワークとして3項目があるわけ。

 そういうつもりでしたが、やはり物語は良いですね。自己表現は、ある世界を創造すること。一番しやすいのは小説だが、悩んでいた文体が、どうでもいいや、となり、自分自身のやり方と開き直った。

shougan天然流
スポークンワードポエトリー
現代琉歌

幼いころからの夢は叶った。これから先の夢は全世界を包む慈しみ。
そのために小説へも挑戦してゆくのだった。

「活」~ネット活動

 「春緒うるま」としてnet活動はgooブログから始まり、SNSなど「30ヶ所」ぐらい登録したが、多くが今は放置状態。性格が現れてますねー。

ハローウルマを筆名にしていた壮年時代。21世紀も近くなるとパソコンを使いたい思いになりました。
それで最初に電話番号も必要となり携帯電話を契約する。未だ機種代が無料の時代です。携帯電話と同じつながりのインターネット接続サービスを選ぶ。無料のホームページも付属していて早速ウエーブデビューします。
ただ、ページ数は少ないし、ウエーブのことも知らない。htmlの書き方を覚えたのは良い経験になりました。

 文章修行で調べものに使う予定でしたから、最初は自分のサイトを持つことに重きも置きません。しかし、ブログの存在を知るのは時間の問題です。

 gooにはsnsがありました。「ひとこと」と呼ばれるグーホームをさっそく始めます。「うるま」が名前になります。
 ソーシャル・ネットワーク の良い面と悪い面を経験する

 フェースブックに登録するときは日本語の名前が必要になり「春緒うるま」と筆名を変更する。 投稿サイトも活用していく。主な場所は、この3項目。

ピアプロ…ボーカロイドに歌わせるsite。
泊 大輝のわがまま作詞道場…演歌の勉強。
okミュージック…交流が役に立ちました。
2015年「うえ間はる」に名前を変えて「ポエトリーソングライター」と名乗り活動を始める。

後年になってPoetry talkerへ呼び方を変える。
それで上間春緒(haruo uema)
本名に近い名前で次の段階へ向かう。

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「荷物を持ってあげても 心は 軽くならないかも 知れない だけれど  あなたの心の声を いつまでも聞いて いるからね」  あなたの「何かの」役にたったなら 幸せです  気軽に利用できるように どこか片隅に置いといてください 私はティッシュペーパー 作詩・うえ間はる