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感情メーター

すずめの戸締りを遅ればせながら映画館へ見に行き、泣きかけた。
現実に自分が直面するしんどい問題に泣くことはあっても、作り物、フィクションで泣くことは本当に今まで無かった。アナと雪の女王を小学生の頃友人たちと4人で見に行き、他の3人はボロボロ泣いて、私だけ白けているのが不思議で、空気を読んだ方がいいのかと思った時期もあったほどだ。

世の中にはたくさんの映像、音楽、劇などがある。それらを見たり聞いたりする人たちは感情を買っているのではないかと思っている。
私が話すEssayVlogも泣きはしないだろうが作品の一種で、共感を提供したいという思いが根底にある。なのに私は感情が高まりすぎて泣くという経験が乏しかった。

でもよくよく考えてみると、感情ってすごく瞬間的なもの、移ろっていくもの。
感情メーターなるものがあるなら、短時間で満タンにしなければ泣く行為には至らない。そのためには日頃からその感情を貯めておく必要があるのではないか。
例えば、すずめの戸締りで私が感じたのはCMでもやっていたような主人公すずめが名前を呼ばれるシーンのあたたかさ。家族でも、友人でも、初対面の人にだって。映画の中で呼ばれるすずめという名前はどれも体温があるかのようだった。
一方視聴する前日辺りの私はというと、最近にしては珍しく虚無モードになっていて、どうせ人は死ぬまで生きていくんだと希望のような冷めきっているような感覚になっていた。知り合いの方に勧められて勢いで予約したは良いものの、映画館に行く道中も「そこまで感情が高ぶることは無いんだろう、帰ったら体を休めて回復してまた明日から頑張らなきゃ」と淡々と生活を回すことだけ考えていた。
劇場に入って、映画泥棒を見て、映画が始まる。見ているうちに段々と私の周りの大切な人たちを思い出した。優しくしてくれる人たちを思い出した。気にかけてくれる人たちを思い出した。そんな人たちに同じだけ優しさを返したいと思った。今までも言葉にしたことはあったが心から思えていなかったような気がした。映画はそんなことにも気づかせてくれた。日頃から人の優しさに触れたいと思っていたところにそれを高めてくれる作品に出会えたから私は感動できたのだ。

感動したりハマったりするのは、その時のタイミングで感情メーターが同じ方向に振れている作品に出会うことが鍵なのかもしれない。作品自体の熱量も同じくらい大事だろうけど、共感力が大事と言われる理由もわかる。
私もそんな作品が作れるようになりたい。今は正直小さい頃から親しんできた音楽なのか、それとも今力を入れているイラストなのか、はたまた文章や別のものになるのかわからない。でも、表現が好きで誰かの心を動かしたい思いはずっとある。それを好きなだけ続ける、それだけ。


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