断片 #1

「ここ一年間、自分は新しい音楽が本当に聴けなくなった」

自分の中で理由は分かっている。分かっているし、聴けなくなったことが悪いことなのかどうかはまだ自分でも分かっていない。
一方、過去の自分と大きく変わってしまったこと、周りから取り残されていくような感覚があることに対してどこか引っかかりを感じているのは事実で、ネガティブな感情を抱いていないと言えば嘘になるだろう。


聴けなくなった理由として主に2つ思い当たるものがある。

1つ目は心身のバランスの問題。今までは精神状態がドン底でも聴けていた、いや、無理をして聴いていたが、それが本当に出来なくなった。
自分で言うのもなんだが、2年前くらいまでの自分は音楽通を名乗っていても許される程詳しかったと思う。
正確に言えば自分が長けていたのはいわゆるディグ能力、網目状にアンテナを広げていく能力、音楽に関する共通言語(ジャンル等)への造詣であるが、それらのステータスが全て初期設定に戻ったような感覚に常に襲われていた。

2つ目は音楽に対する向き合い方の問題。ここ2年弱、曲作りを行うようになったのは自分の中で一つのターニングポイントになったと言える。
自分が今まで好きになってきた音楽、良いと思える音楽はなぜそう思えるものなのか、ひたすらそんなことを自問自答し続けていた。
その結果、新しい音楽を自発的に探す行為はかなり控えめになったが、代わりに今まで好きだったものに向き合う時間が増えた。


新しい音楽を聴けなくなったということは、決して悪いことばかりではないとも思っている。
今まで目を向けてこなかった部分に目を向けられるようになったのは自分の中では素晴らしいことだと思うし、それはそれで良いのだ。
これは別に音楽に限った話ではない。暮らしている街に慣れ過ぎた結果、自分の身の回りにあった興味深いモノに気付けず、それに気付いたのは暮らしている街を出た後だった、なんて話はよくあるのではないだろうか。
今までの経験から蓄積され生み出された固定観念を捨てて、新しい価値観を得られるということは早々体験出来るものではない。貴重なのだ。


それでも、自分はまだ過去にしがみ付いている。
今までの自分を捨ててしまうような気がして怖い。

「まあそのうち変化にも慣れるよ!大丈夫!」
「良い経験出来て良かったじゃん!」
自分に対しこんな言葉をかける人々がいた。
違う、そうじゃない。
自分が恐怖感や寂しさ、様々な感情がごった返して悩んでいた、今も悩んでいるのは間違いないのだ。
自分は今を生きている。今を生きているからこそ、大事なのはこれから先のことではなく今どう思っているのか、ということなのだ。その瞬間の自分に嘘をついて生きたくはない。


これから先自分が生きる上で力になってくれるかもしれない、そんなことは分かっているつもりだ。
それでも今はまだ受け入れ切れていない、まだ受け入れるつもりはないのかもしれない。
頭では分かっていても心がついてこないという感覚が身に沁みて感じられたのは、「新しい音楽が本当に聴けなくなった」ことに気が付いた時だった。

自分はまだ案外初期衝動に支配されているんだなと気が付いてから、そんな自分に吐き気を催すと同時に思わず笑ってしまった。


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