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水野ダイアリー 9月1日〜30日

【水野ダイアリーとは】

水野が2022年の元旦に突然「今年は毎日エッセイを書いてみよう」と思い立って毎日書いたエッセイの1か月分のまとめです。すごい読めるのでとにかくお得。


https://note.com/320_42/m/mf47e4c43860e


9月1日 「アパ鬱」
9月2日 「手塚の反応(予想)」
9月3日 「所作のコントラスト」
9月4日 「いらないとは言えない」
9月5日 「ふーん経営」
9月6日 「満面の笑み」
9月7日 「結果にコミット」
9月8日 「LAST nervous」
9月9日 「HOT nervous SPOT」
9月10日 「求めていないサービス」
9月11日 「状態」
9月12日 「流石にヒロシ」
9月13日 「人類のスタンダードは登りのアンチ」
9月14日 「この人は発展途上だから……」
9月15日 「2いいねの世界」
9月16日 「店内に使われていない幼児向けのアンパンマン三輪車が放置されている寿司屋のような入りづらさ」
9月17日 「宇宙人」
9月18日 「ダンレボ」
9月19日 
「充実の不毛」
9月20日
 「全部見る為に全部見るのは大変」
9月21日 「出尽くした」
9月22日 「絶対に広げなくて構わない想像力の翼」
9月23日 「抜けていない」
9月24日 「雷をなんとも思わない人々」
9月25日 「クールビューティー対策」
9月26日 「面白耐性」
9月27日 「発注してないスタンドが家にある」
9月28日 「14=46」
9月29日 「海にもおいしいとかマズいとかがある」
9月30日 「二千円札のファンの人」


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9月1日 「アパ鬱」

 ない嫌な事件を考えたので聞いて欲しい(ないけど)。アパホテルの引き出しにはおおよそ3冊くらいの絶対に読まない本が入れてある。絶対に読まないって分かっているのに、一応、引き出して毎回確認してしまう。どんな本が入っていたのかも覚えてないけど、駅前で無料配布されているありがたい系の本と一度も使わなかった英語のリスニング教材を足して二で割ったような絶対に読まない雰囲気の本がいつも3冊くらい入っている。これをもう少し日本人客に親しみのある内容にした方がいいんじゃないかという議題が持ち上がり、社内で会議が行われる。が、何を提案しても別の陣営から反対意見が上がって全然決まらない。喧喧諤々の議論の末、ようやく誰からも批判意見が上がらなかった『ジブリの鈴木さんに聞いた仕事の名言』が採用される。鈴木敏夫の名言集って、この世に存在する全ての本の中で一番特に誰も何の意見も言えないんじゃないかと思うので、煮詰まった会議の果てに全員帰宅したすぎて採用されてしまう可能性があるのだ。因みに、実際に帯に採用されている宮崎駿がセレクトした鈴木敏夫の名言は

「やりますか」


である。名言の定義が分からない。


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9月2日 「手塚の反応(予想)」

 友達がやっているグループ展を観に原宿に行ったら、浴衣を着ている手塚国光(の吊りポスター)と目が合った。手塚国光とは、漫画『テニスの王子様』に出てくるキャラクターで青春学園中等部テニス部の部長をやっている。今だに続編の漫画で活躍をしているので私が中学生の時から手塚は中学生をやっている。当時手塚が好きだったクラスの女子は誕生日プレゼントで親に念願のクロムハーツのリングを買ってもらっていたけど「こういうの、手塚は絶対好きじゃないよね?」と気にして、制服のカーディガンでリングを隠していた。これは自分が大人になったから得られる視点だけど、手塚は冷静なタイプだしクロムハーツをつけているからといって、友達や恋人へのリアクションを変えたりしないと思う。しかし当時の自分は普通に中学生でそのような視点はなかったので「隠したほうがいいかもね」と友達の意見に同調していたのであった。手塚越しに自分の精神年齢の成長を感じた。


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9月3日 「所作のコントラスト」

 疲れすぎて気が遠くなってきたので人が全然いない山奥の温泉に行くことにした。バス停から何キロか徒歩で歩くしかないような立地だから、土日にも関わらず地元民と温泉マニアしかいない。温泉マニアと地元の人は外見上は区別がつかない筈なのに、所作がマニアの場合完全にマニアの所作なので丸分かりだ。まず人間は日常生活の最中にそう最短の直線距離を歩かない。マニアの人はマニアなので一刻も早く目的にたどり着きたい気持ちではちきんばかりなっている。だから動きに無駄がないし、目線もある一点に定まっている。私の地元も田舎だったけどこんな動きをする人は存在していなかったので、確証はないがマニアの人だと思う。中野ブロードウェイとか秋葉原でもこういう目的が定まりすぎている動作の人間を見かけることがある。行ったことがない人はイメージし難いかもしれないけど、即売会の開始時間前から待機している人が開場と共に真っ直ぐ最短距離で目的地へと向かうみたいな動きだ。これを辺鄙な山奥でやるのだから、目立つ。一方で地元民の方は地元民的にはマジで何もない山奥の小さな集落に対してもう完全に見飽き切っているので目的がある所作を全然しない。燃えているタバコの先端部分をひたすらじっと見ているだけ。コントラストが、かなり激しいところに来てしまったなと感じた。

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9月4日 「いらないとは言えない」

 宿泊した宿のおばあちゃんはすごく気が効く感じの人なので辺鄙な田舎を訪れた若者に、本来喉から手が出るくらい話しかけたいだろうに全面的にほっといてくれた。こういうホスピタリティーを獲得できるのだから、やはりプロの方ってすごい。話を聞いてくれそうな感じのある若者に反射的に話しかけないなんて、目もくらむご馳走を前に耐えているドーベルマンよりも偉大だと思う。チェックアウトをしながら最後までこのストイックなプロフェッショナルの志を貫くのだろうかと注目をしていたら、そこで初めて業務外の内容で声を掛けられた。

「飴ちゃん、よかったら持っていって頂戴」

いらないとは言えない。

「じゃー1個。貰いますので」
「そんな1個と言わずに3つくらい持ってってちょうだい」

 このおばあちゃんは若者に飢えている。飢えているのに、それを戦時中のようなマインドで耐え忍んで耐え忍んでほったらかしにしておいてくれたんだけど、最後の最後3粒の飴にそれが出てしまった。もっとカゴいっぱいに全部あげたかったろうけど、このおばあちゃんは3粒で、ギリ常識の範囲内で我慢している。耐え難きを耐え、忍び難きを忍び。そういう繊細さが包括された飴を、いらないからと断れるはずがなかった。おばあちゃんは私の左手に飴玉を握りこませると、車に乗っけてバス停まで送ってくれた。私は飴玉なんて全然舐めないが、かといってポケットにしまう気にもならない。個包装の中で固形の飴が粘度を増していく様が、なんといったらいいのか。純度の高い命への執着の感触とか、成就しなかった利他が誰も飲まない湧き水のように湧き出でては流れていく様だとか。なぜか大竹まことのエッセイのタイトル『結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ』が頭をよぎったりもした。バス停で振り返ると、おばあちゃんが乗っていた車は、もうただの田舎を走っている特徴のない車の一つにしか見えなかった。ホームセンターの駐車場とかに留まっている感じの。やっぱり口に含むことはない飴を、私はポケットにしまった。

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9月5日 「ふーん経営」

 おばあちゃんは完全に私が東京に帰って次会えるかわからんけど元気でねと思っている感じだったので、それはそれでそう思って頂くことにして、バスに乗って近くの温泉街を散策するなど時間を潰してから近くの別の宿にチェックインした。おばあちゃん、実は私全然まだ近くにいます。二つ目の宿は、建物は立派だけど情緒の面で全てが崩壊していた。こんまりさんが全身の細胞を躍動させて大喜びしそうな感じというか。年月を経て堆積したあきらめや灰色の倦怠感が関東ローム層みたいに層をなしている。宿の人は、人は良さそうな感じだけどおそらく根本的に「客」に興味がないので、私の顔を見て「ふーん、マジで来たんだ」みたいな顔をしながら「体温を測ってください、消毒と」と言った。感じが悪いとかではない。本当にこの人はただただ客に興味がない。全くというか、近所で飼われている犬程度の興味しかない。言葉にするとまさに「ふーん」って感じであろう。そういう雰囲気が全身の毛穴からもうもうと立ち上っている。あのさあ、昨日のおばあちゃんとあまりにもコントラストがすごいんだけど。まあそれはこっちの事情だからね。関係ないから。無表情で部屋に案内されると、一歩歩くごとに埃が舞う。電気の傘に積雪のように埃が積もっているのだ。私は一念発起して、持ってきたタオルを雑巾にして部屋をめちゃくちゃ掃除した。この宿、建物も設備もすごくいいのに、金を設けようとか客を喜ばせようといった経済合理性に結びつく意図が絶無なところがすごい。元々持っているものが恵まれているから、少しがんばれば儲かってしまうというのに。頑張らない状態でいることの頑張り屋さんだ。案の定、ネットでレビューを見たら「途中で帰りました」という最悪レビューが並んでいる。こういうのもいい。東京って全部頑張りすぎだもの。SNSなんかもそう。

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9月6日 「満面の笑み」

 本当に何もない山中なのでやることがなく、仕事をしたり本を読んだり、飽きたら合間に何時間も温泉に浸かっていたら湯あたりした。この場合の湯あたりとは、一時的に体が火照ってのぼせるような症状ではなく、温泉のパワーに当てられて半日くらい朦朧としたりぐったりしてしまう現象を言う。話には聞いたことがあったけど本当になるんだな。しょーがないから横になってぐったりしていると、宿の人がポットを下げたり朝食を出したりする度に、調子乗って温泉入りすぎてぐったりしている私を見て「オヤオヤ」みたいな顔で満面の笑みを見せてくる。客に見せる一番の笑みがそれかよ。客をぼったくろうとしているインド人から下心や欲だけを完全に取り外したような爽快な笑みだ。こんなに無欲な宿にも、朝が来たんだなあ。本当に無欲すぎだろう。未だかつて見たことがないレベルの無欲さ。すごいところに来てしまった。全然憎めない。こちらも根本的に無関心でいてもらえるぶんにはありがたいので、これから先も思う存分客に無欲でいて頂きたい。田舎で半分野放しになっているデタラメな犬の飼育者ってこんな感じかもしれない。犬は飼わないで。

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9月7日 「結果にコミット」

 昨日も今日も、客は私一人。やってる側が無欲すぎるから、その姿勢が直接的に結果にコミットしている。昨日の夕食の膳が下げられずに部屋に置きっぱなしになっていた。鮎の塩焼きを「大好物なんです」と言ったら、宿の人はすごく嬉しそうにしていた。そこの部分の感性は、あるんだ。とにかく客を喜ばせたいという情緒が完全に欠如しているだけで、根本的な人間としての情緒は普通にある。なんなんだよ、そっちの方が難しいだろ。金儲けのことしか考えてなくて人間的な情緒はないという人は山ほどいるのに、その逆は初めて見た。人間的な情緒があるだけで、客に対しては最大限労力を節約したいのだろう。食事が昨日より簡素になってきた。おそらく、私が最悪レビューとか投稿しなさそうなタイプだから全力でリクライニングしているんではないか。朝ごはんの、本来であれば焼き魚が乗っていたらいいんじゃないかと思われるエリアに、乾燥した煮干しが3~4個乗っている。なんというかこの点においては評価したい。グルーポンスカスカおせち事件のような、節約盛り付け部門における芸術性を感じる。膳の全体から可能な限り最小限の手数で済ませようという意思が伝わってくるわりに、漬物が数種類の自家製で割と凝っているという矛盾点も膳全体の不条理さをそこはかとなく盛り上げていて、よい。大福の塩というか。文句のつけようがないナーバス膳に渾身の心の拍手を捧げつつ、食べれそうなものを食べて終わった(あまり食べるものがない)。これに味をしめて明日はもっと減るであろう。

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9月8日 「LAST nervous」
 
 ナーバスな方が経営しているだけあり、建物全体に横溢するムードがかなりナーバスなので、つられてこちらもナーバスになりつつある。最高の掛け流しの温泉を24時間独占(独泉)できて部屋からは心地の良い清流の流れが見えるというのに。人間の覇気の影響ってすごい。早く帰りたくなってきたので、朝5時に目が覚めた。今からもう帰るのが楽しみ楽しみで電車の時間を調べている。自然と満面の笑みを浮かべていたら、朝食の膳を持ってきた宿の人も満面の笑みを浮かべていた。今から客が0人になると思うと嬉しくて嬉しくてたまらないのだろう。図らずも利害関係が一致した結果、ナーバスな空間に満面の笑みの人間が二人いるという奇妙な状況が成立した。こんなことってないからわざわざ来てよかった。リピートは多分、ないが(すごく安いので内容に不満はない)。ナーバスな宿の方は客がいなくなるのが嬉しいからか、バス停まで送迎してくれた。バス停で振り返ると、なんだか車の佇まいまでナーバスでちょっと傾いていて、人間味が感じられた。おばあちゃんの時は田舎のよくある車にしか見えなかったのに。ただいい人って、忘れられる。私だって忘れていく側の人間だ。しばらく感傷に浸っていたら、いなくなったはずのナーバスな車が戻ってきて「お客さ~ん、忘れ物ですよう!!」とスマートホンの充電器を届けてくれた。だからそういう人間味は、あるんだ。

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9月9日 「HOT nervous SPOT」

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