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シリーズマシな人生 心の負債総額算出方法~前編~

 100億円くらいカジノで失って逮捕された元大王製紙会長井川意高の破滅的自伝『溶ける』の続編『溶ける 再び』がAmazon unlimitedに追加されていたので読んだら、筆者の井川氏が獄中で恋愛工学に目覚めて得心したエピソードが綴られていた。井川氏は逮捕当時50歳近い年齢であって、社会に不満を抱える20~30代の若者がこのようなモラルハラスメントによる支配的状況を意図的に作り出すメソッドに取り憑かれたようにハマってしまう痛々しさとは全然違う痛切な重みが漂っているように感じた。言葉を選ばずに言ってしまえば、ああ、この人の人生ってもう取り返しがつかないところまで行ってしまったんだなあという。それは金や会社、信用を失ったとかいう次元の話ではなく、心が取り返しがつかないところまで領域まで行ってしまったんだなあという重みだ。恐らく井川氏は今更恋愛工学をやってみたい気持ちになったのではなくて

「世の中ってこうだよなあ。自分の世の中に対する認識は概ね合理的で正当だなあ」

と、歪んだ現実認識を深めていく行為に、ある部分で癒されてしまったのではないだろうか。実際のところ、本人の精神状態がどうあったのかは全く想像が及ばないがそんな気がしてならなかった。

「破滅」っていうのは、ある状況や環境に従って発生する物理的現象ではなくて、本人の心が作り出した心象風景に自分自身が生存する余地を完全に剥奪され切った状態を指す言葉だなと、思う。

 不合理かつ巨大な借金を作ってしまう人間の背景には大抵「心の負債」があるように思う。心の負債とは。一言で言ってしまえば「自分で自分の心を誤魔化して裏切り続けたツケの総額」のようなもので、莫大な借金を抱えているよりも莫大な心の負債を抱えている方がよっぽど問題としては深刻だと思う。心の負債について、最も恐ろしい点は何と言っても「借入先が自分」という一点に尽きる。お金や信用を借りるとき、借りる先は自分以外といことになるから借りれる額にも限度がある。しかし、借入先が自分自身である心の負債はカードローンなんかと違って、無限に(正確には心が耐えきれず「破滅」に到達するまで)借り入れる事が出来てしまう。

・「心の負債」は何を担保にして何を借り入れをしているのか

 借入先が自分自身である心の負債では、一体何を担保に借金をしているのか。返済を怠った場合には、何が失われるというのか。結論から言うと

「自分への信頼感」を担保に、「捻じ曲げた現実認識」を借り入れる行為

を指して「心の借金」と呼んでいる。更に、心の借金を放置し続けた結果、恒常的に精神に負荷をかける状態になっているものを「心の負債」としている。

 そもそも人間の現実認識には個々に独自のバイアスが掛かっているから、何をもって歪んでいて、何をもって正常だとか言い切ることは不可能である。基準がある訳でもない。しかし、一つだけはっきりしている事は、本人が自分の現実認識に心から納得しているのか、薄々自分を騙している自覚があるのかというごく僅かに思える差異が、結果として人生の風景を一変させてしまうくらいの影響力を持っているという事だ。

 何もかも完全に納得がいくように折り合いをつけて生きていく事は社会の中で生きる以上困難ではある。だから、ある程度強引に目の前の現示を合理化して生きていくのは必要に迫られるのが人生の常である。私もかつてオフィスで働いた時に心にもない「社是」を唱和させられた経験があるが、この時は「誰がどう見ても口パクなのにやってる感(スポーツを応援している人のような感情込めてる感)だけは人一倍出している」というウルトラCの秘策を用いて心を守った。この、本来バレバレである筈のウルトラCの秘策がなぜ白昼堂々通用してしまったのかと言うと、毎朝唱和させられている「社是」が目の前でハチャメチャにバカにされている現実を朝から直視するよりは、適当に脳をごまかしてサッと終わらせた方が精神的な負担が少なくて済むからだと思う。このウルトラCが見過ごされ、通用してしまっている現実それ自体が「社是」の無意味さ、非効率さ、不合理さ、経営者の自己満足具合を鮮やかに浮き彫りにしているというか。

 このケースのように「こうであるべき現実」「こうであるべき現実についていけない精神」の二者は、常に案外剥き出しになっていて、かなり直接的に場の空気に影響を及ぼしている。空気というか、情緒、精神、思考、雰囲気、景色、判断基準、感情、気分などもはや全てと言えるほどの認知世界の全てに大いに影響を及ぼして、うねりを上げて現実を変容させ続けている。

 『M-1グランプリ』の審査基準について、いろんな審査員が「うねりがあった」「うねりが足りなかった」などの言い回しをしているのは、この二者の揺らぎによって行われる現実変容そのものを指しているのだと思う。この漫才師に優勝して欲しい、する筈だという「こうであるべき現実」を裏切って現実を変容させる程の「こうであるべき現実についていけない精神」が噴出するカタルシス、そういうものが見たいと考えている人が多いのだ。ユーモアのコアはここにあるのだろう。周りの人よりもいち早く「こうであるべき現実についていけない精神」のうねり、それがやがて自分たちの身にビッグウェーブとして迫ってくる予兆を見抜いて、浮き彫りにして、現実認識を一変させてしまう魔術的カタルシスというか。

 反対の作用もある。「こうであるべき現実についていけない精神」を無理矢理強引に宥めすかして落ち着かせて「こうであるべき現実」に軟着陸させてしまう政治的手腕というか。現実問題として、大きな組織を運営して行く為にはこの手腕が求められる事は多々あるが、余りにもこればっかりで押し通していると「こうであるべき現実についていけない精神」が暴発して普通では考えられないような禍々しい事件が起こったりする。すごくシンプルは話としてはチェルノブイリや福島の原発の爆発も「こうであるべき現実」(事故が起こらない筈の技術という本来ありえない過程が裏切られて)がモロに維持できなくなって爆発した事例だと言える。こういう爆発は精神的な作用としても多面的に発露する。私がバレバレの口パクで社是を唱和していたのも、ついに現実に現れてしまった禍々しい事象の一つと言えると思う。精神性を棄損する行為が生み出すリスクは財務諸表には掲載されないから、経済実態としては無いもののように扱われるし、労働者はそういったリスクが存在しないように扱う訓練を常にさせられているとも言える。どこの国でも政治家がとにかく支持率を気にするのは付いていけない精神のうねりを常に弾圧するのが政治家の仕事だと心得ているからに違いない。

 このような、政治家(「こうであるべき現実」)とコメディアン(「こうであるべき現実についていけない精神」)の対立は各自の内心にも存在している。自分の内心の何もかもを政治家(「こうであるべき現実」に軟着陸させる精神的作用)に取り仕切らせてしまうと、自分の内心で普通では考えられないような禍々しい出来事が発生する。これを私は「心の借金」による「破滅」と呼んでいる。破滅の起こり方は人それぞれだけど、莫大な借金をするとか、仕事や人との関係や信頼を失うとか、まだマシな破滅であれば数年寝込むとか、そういうことが起こる。ここで破滅というか、底つき体験のようなものに到達できる人は、まだ心のどこかに「こうであるべき現実についていけない精神の作用」が残っていて、手痛い代償と引き換えに「心の借金」を片付けていくことができるけど、「こうであるべき現実についていけない精神の作用」が死に切っていると、冒頭の井川氏の事例のように、何かそれでも歪めた現実を補強する材料を探して何かに依存し続けることで「こうであるべき現実」を維持しようとする。私はこうなってしまう事が破滅よりもよっぽど恐ろしいと思う。
 
 依存症を治療するには、物理的な制約だけでは不十分で、自助団体の助けなどを得て精神的な作用に変化を起こさなければならない。何かに依存している状態の人間が多いと、端的に儲かるから社会一般からは依存状態の人間はほっとかれるし、誰も助けてくれない。病気として扱ってもくれないし、「異常」ですらない。この方面に関しては世の中の方がよっぽど「異常」のプロフェッショナルみたいなところがあるから、お客様としては最大限「正常な方」として扱われてしまう。こんなに残酷なことがあるだろうか。SNSの影響で「こうであるべき現実」「こうであるべき私」「こうであるべきライフスタイル」「こうであるべき趣味趣向」を一点張りしてサバイブしようとする手法ばかりが持て囃されて、安易に飛びついてしまう人が大勢いるというのに。

 「心の負債」は伝播する。心の負債を抱えている人の周りには、やっぱり心の負債を抱えている人が集まってくるし、注意深く目の前で繰り広げられている「現実」が誰にとってどう迫真に迫るものであるのか、常にファクトチェックを行わなければカジュアルに行われる緩やかな他者の生命の剥奪から逃れることができない。「こうであるべき現実」のレガシーだけで既に終了した人生の余生を生きているつまらない長話をする偉い人って、誰にとってもどのような迫真にも迫っていない現実に他人の命を付き合わせているから、やっている事は緩やかな人殺しだと思う。そういうカジュアルな命の剥奪が、SNS上のいろんな所に散りばめられていて、日々、洗濯しすぎたカラータオルのように、命が色褪せていやしないだろうかと不快感を抱く。滑らかなプリンを咀嚼していると、鋭い砂利が混じっていて口の中に血の味が滲んでいく。咀嚼するたびに鉄の味が鼻腔を覆い尽くすほど存在感を増しているのに、誰にとってもプリンと不快な鉄の匂いの因果関係を把握出来ないでいる。そうしているうちに、食べる気力をなくして益々プリンしか食べられなくなっている。そんな感じの不毛さがあるようにも思える。


【中編・後編に続く】


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