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シリーズマシな人生 心の負債総額算出方法 ~中編~

【中編の内容】
・筆者の「心の負債」弁済の道のり
・心の多重債務者と心の富豪の明らかな差異

※前後篇を予定しておりましたが、長くなってしまったので前・中・後編にします


心の借金=「自分への信頼感」を担保に、「捻じ曲げた現実認識」を借り入れる行為
心の負債=「自分で自分の心を誤魔化して裏切り続けたツケの総額」が常に精神に負担を与え続けている状態

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 例えば、自分が何者かであるように見せかける為に、安易に「心の借金」をしてしまう人をしばしば見ます。この安易さの根本には、自分の心を騙して現実認識を捻じ曲げる行為は無リスクで無尽蔵に使える天然資源のようなものだ、という感覚があるのかもしれません。

 「自分への信頼感」を担保に、「捻じ曲げた現実認識」を借り入れる行為を筆者は「心の借金」と呼んでいます。心の借金は、借り入れ側も借入先も自分なので、一見無リスクに感じてしまうのかもしれませんが、そうではありません。なぜなら心の借金によって捻じ曲げた現実認識にどこか付いていけない精神を無理矢理納得させる為には更なる心の借り入れが必要で、複利によって雪だるま式に膨らんだ心の借金を抱えたまま簡単に「破滅したくても破滅できない状態」にまで追い込まれてしまうからです。

 破滅したくても破滅できない状態とは、「こうであるべき現実についていけない精神」が全く作用しなくなってしまった精神状態のことです。極端なブラック企業や暴力的な懲罰のある部活などを辞められなくなっている人は「自分はここで頑張るしかないんだ」という捻じ曲げた現実認識を借り入れる為に自分への信頼感を棄損し過ぎて、「捻じ曲げられたこうであるべき現実に付いていけない精神」を信頼する余力がなくなっているのだと考えられます。この場合「自分はここで頑張るしかないんだ」という捻じ曲がった現実認識を発生させている根本原因がブラック企業やブラック部活の側なので、物理的な距離さえ確保できれば短期間で心の借金を弁済していくことができますし「誰もあんな場所で頑張らなくていい」というシンプルな現状をすぐに再認識できるでしょう。しかし、捻じ曲がった現実認識を自ら望んで発生させている場合、それはもう、なんというかどうにもなりません。昔働いていた短期バイト先で、

「自分の実家が管理している墓の墓石はすごく高い高級品を使っている」

という話を本気で、大真面目にされた事があります。どうリアクションをしたらいいのか分からなくて途方に暮れたいところですが、本人は至って真剣です。この場合、なんでもいいからとにかく自分を大きく見せたくて軽い気持ちで始めた「心の借金」が膨らみすぎて、一体自分でも自分がなんの話をしているのか全く分からない領域に突入してしまっているのだろうと思います。気の毒とは思いますが、このような空虚で誰にとっても真実を含まない会話に付き合う程ヒマな人生を生きている人はこの世のどこにもいません。

 このように、心の借金をしている人は当たり前ですが、自分の心の借金を自覚する精神の余裕はありませんし、自覚がない為に自分の借金の利子を周囲の人に押し付けてしまうことがあります。その人にとって心に差し迫る真実ではなく、何か捻じ曲げられた現実の設定に付き合わされている時間というのは、極端なことを言えば死んでいるようなものです。誰にとっても真実ではない、徒労感にまみれた虚無のプロパガンダに付き合うくらいであれば、本当に一次的に死んでいる方がまだマシかもしれません。なぜなら、心の負債には伝播する性質があるからです。金銭的な借金の感覚も人づてに伝播していくところがあるので、似たようなものかもしれません。発見も鮮度も実感も根拠もない、どこの地平にも接続していないうわべにうわべを塗り重ねたような虚無の上に立てた虚無の楼閣。そんなものが普通にあり得てしまう世の中は、正直なところ相当深刻に狂っているとは思うのですが、それで上手く成り立っている部分もあるので仕方がありません。この世というサグラダファミリアを凌駕する勢いで積み上げられた壮大な心の違法建築の俎上で、自分が心の借金を重ねない為にも、他人の心の借金からくる虚無の時間に付き合わされない為にも、現代を生きる我々は心の借金についてもっと詳しくなる、少なくとも存在を認識できるようになる必要があります。

・筆者の「心の負債」弁済の道のり

 そもそも、筆者がどのタイミングで「心の負債」について意識をするようになったのかというと、それは大学を辞めた時です。この時に、目に見えて、明らかに人生が良くなった自覚がありました。社会的に見れば大学を中退して学費を無駄にした上に就職もせずただ親に迷惑をかけただけのクズであって、なんらいい事はありません。それでもどうして人生が明らかに良くなったのか、それは心の借金をもうしないで済むという事が自分にとって明らかになったからです。私は美術系の大学に進学しているのですが、美術系の大学は非常に学費が高いですし、何かこう選民思想や根拠の希薄なエリート意識みたいなものも常に蔓延しているので、その場にずっといると

「親に高い学費を払って貰って生涯年収に寄与しないような進学先を選んだのだから、何か世間が納得するようなすごいアートを表現したり、有名広告代理店に就職して社会的ステータスを得る事で周囲に成功の感じを実感してもらわなければならない」

という歪んだ現実認識にジワジワ脳が侵食されるような感覚が常にあります。正に、毒の沼地。歩いているだけで精神力がすり減らされていくこの沼地では、生まれ持った「どくタイプ」の人間しか元気満々ではいられません。誤解を招くかも知れませんが、筆者は何もすごいアートや有名広告代理店に対する批判的意見があるのではありません。そういった毒フィールドで心の借金をせずに元気マンマンでいられる人間であれば全く問題はないのですが、そんな磁場にナチュラルに適応できる人の方が少ないので心の借金が常態化してしまっている状況に問題があると考えているのです。

 誰しもが当然のように「心の借金」を積み重ねて狂気の毒フィールドに耐える事態が蔓延してしまった結果、

耐えるのが当たり前なんだ、真面目に勉強して真面目に就職して真面目に仕事をするルートから逃げて進学したのに、ここでも耐えられなかったら心底救いようがない本物のクズ人間になってしまうんだ、何か世間を納得させられる程の大人物にならなければいけない

という、正にブラック企業にぶち込まれた社畜のような考えがジワジワ中枢神経を侵食し、大きな「心の負債」がいつしか見慣れた当たり前のものになってしまう。こうなってみると、当たり前のように公園を散歩している時のなんでもない幸福感が遠い別世界のものであるように感じられてきます。すごいアートとは。代理店の何も面白くない失礼なギャグの広告を、どういう心でイケているクールなものとして受け止めればいいのか。

 私は、このまま物事がスムーズに進行してしまったら本当に死んだほうがマシな精神状態になるかも知れないと思って、大学を辞めました。その瞬間、世界が光に包まれたような感じがしました。「心の負債」の存在を克明に把握した瞬間です。

 結局、どれほどの名誉や地位を獲得したところで心に自由がないと本当に何の意味も無い。「心の負債」から逃げ続けても、本当の意味で自由になれる日は絶対に来ないという当たり前の事実を痛感しました。親はものすごく残念そうにしていたので申し訳ないとは思いましたが、お金を出してくれたとはいえやはり他人です。私の心の景色や本当の幸せが何なのかなども絶対に伝わらないので、理解されないのもやむを得ません。むしろ、こうまでして心の自由を(大学の高い学費と引き換えに)「買った」以上は絶対に大切にしたい。この体験から、私は何事においても


「もう知らねえよ」


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