見出し画像

病気は相棒ではない


よく治らない治りにくいモノを相棒呼ばわりする人がいるが、私はそれはよろしくないのではと思ってしまう。病気と向き合う気持ちは大事だが相棒なんかと呼ぶべきモノではない。


常々、鬱病というのは不便極まりない病気であると思う。しかし、それに付き合ってやがて12年以上が経つ。自分の精神状態をコントロール出来ずに12年以上やってきていると思うと我ながら感服である。
しかし、私は一度も鬱病を相棒と思ったことがない。ポジティブな言い回しではあると思うが、鬱病を鬱病であると認めなおかつ受け入れようとするその姿勢は素晴らしい事だと思う。
だが、鬱病やその他精神疾患、治りにくい病気などを相棒と呼ぶには些か抵抗がある。
もしかしたら一生付き合っていかなくてはならない、そんな風に思うだけで気が狂いそうになるのだから私には決して相棒という言葉で片付けたくはない。鬱病の場合、私にとっては死神でしかないのだから。

病気というのは厄介なものだから、それを味方につけてしまった方が楽なのかもしれない。だが、どう足掻いても私には味方にすることは出来ない。私が未熟だからなのは百も承知なので、相棒と呼ぶ方に対してそれはおかしいと言っている訳では無い。
ただ、病気を相棒呼びしてしまうとずっと付きまとわれる存在という認識を刷り込まれてしまうのではと怯えてしまう。

刷り込みというのは大変不快な存在故に、知らず知らずのうちにそれが事実であるように現実であるように錯覚あるいは本当の出来事だと認識してしまう。
それが怖くて私は病気などの自分にとって厄介なものを相棒とは呼べないのだろう。
大半のことは、自分にとって不利益なものを味方につけてしまえばこっちのものと言えると思うが、病気などに関してだけは味方になどつけたくはないという我ながらの足掻きがどうしても生まれてしまう。
そして何故相棒と呼べるのだろうという疑問を抱くようになる。私なりの答えはここに散りばめている。だから敢えて記すことはないが、リアルにそれを言ってる方がいたら私は動揺を隠せないでいるだろう。





Soutenez moi s'il vous plaît 🦖⸒⸒ On va boire un verre ensemble🥂‪⋆͛