嫌いだった剣道について
小、中、高の12年のうち、9年を剣道に費やした。成績としては県大会で優勝2回・準優勝2回、関東大会出場2回、全国大会出場1回…などなど。
けどそんな剣道がこの世で最も嫌いなものの1つである。
始めたのは小学校1年生の夏。
きっかけは、近所の同級生に剣道の先生の娘さんやお孫さんが何人かいて、その子たちが始めるとのことで自分もママに連れられて道場の見学に行った。そうして流れで始めることに。初めての習い事だった。
練習時間は18時〜21時まで。夜にやってる剣道なので通称『夜剣』。けど、始めて数ヶ月ですぐ剣道が嫌いになった。単純に面白くない。2年生になったら辞めさせて欲しいとママにお願いした。でも辞めさせてもらえなかった。『一度やると決めたら最後までやり続けなさい』、それがママの教えだった。けど自分の意思で始めたことじゃなかったから押し付けもいいとこだ。泣きながら練習に連れて行かされた。
夜剣は残り稽古というものもあった。21時以降も先生にお願いをすれば1対1で稽古をつけてもらえる。剣道が嫌いだった自分はごく当たり前に、もちろんのこと、そんなことをしたくはなかったが、やらないで帰ろうとするとママに叩かれるか口を聞いてもらえなかった。でも残り稽古をした日にはご褒美としてコンビニで好きなお菓子を買ってもらうことになっていた。ひどい話である。
出稽古というものもあった。これはいつもとは違う道場の練習に参加させてもらうもの。夜剣は週に3日あったのだが、夜剣がない日は隣町の道場に出稽古に連れて行かされた。これが何より嫌いだった。小学生なのに友達と遊ぶ時間もないし、テレビを見る時間もない。学校の友達とテレビの話ができない時がすごく辛かった。今自分が芸能人を全く知らないのは、小さい時からテレビを見る機会がなかったから。とにかく、全てが剣道中心の生活だった。
4年生の時に、学校の集会で校歌の伴奏をしていた子がすごく女の子らしくてピアノに憧れた。初めて自分から習い事をやりたいと思ったが、剣道が忙しくてやらせてもらえなかった。
中学に入学し、部活動として剣道部に入ってからは本当の地獄の始まりだった。性格の悪い顧問、続けさせられる夜剣、毎日の練習。
【顧問の先生】
今でも、この世で1番嫌いな人間と言っても過言ではない。その先生はお気に入りの生徒にしか教えず、それ以外の人間は無視された。残念ながら自分は後者だった。コメントを求めに行っても何も言わないか「良かったよー」だけ。熱心に教えてもらえる子がいる中、自分は無視されるってのは結構辛い経験だった。
けどこの先生、とにかく剣道が強かった。先生の作る練習メニューは過酷だったし、自分はただママにやらされている身ではあったけど、それを毎日こなすことによって確実に強くなっていったと思う。
【夜剣】
夜剣がある日は、部活が終わった後も連れて行かされた。夜剣では、剣道の先生の娘さんやお孫さんが他の先生からも期待されている気がした。自分の身内には剣道をしていた人はいない。部活でも夜剣でも期待されない自分。期待されている同級生に対して確実に嫉妬心があって、褒められたりしている姿を目の当たりにする度やさぐれていった。まぁ当時は中学生だったし、ただ寂しかったんだろうな。
【毎日練習】
年間を通して休みがあったのはほんの数日。1月2日から大晦日までほぼ毎日練習漬けだった。修学旅行先にも竹刀を持って行ったくらい。旅行中、京都の八坂神社で2000本素振りをしたのなんか強烈すぎて、友達と観光地を巡ったことよりも鮮明に覚えている。
そして剣道部はただでさえ個性的なメンバーの集まりだった。なのに毎日会うもんだから、よく喧嘩をしていた。自分は上記のような嫉妬心もあったし。仲はあまりよくなかった。
けどそんなことを言っても、そもそも自分に明確な目標なんてものはなかったのだが。負けてみんなが泣いている間自分は何も感じなかった。嫌いな剣道と、ひいきばかりする先生たちから一刻も早く離れたかった。
そんな嫌な剣道人生にも転機がくる。剣道を始めて9年目、中学3年生の頃。
大大大好きだった理科の先生が他校に異動になってしまったのだ!!最後別れの挨拶をし告白した時、「もし県大会で優勝して全国大会に出場することになったら、見に行くね」と言われた。異動してしまったら今後は会えなくなる。けど全国大会に出場すればまた会うことができる!
そうして自分は、人生で初めて剣道に本気を出すことになる。
それからはすごかった。自分でもびっくりするくらい練習をしたし、夜剣でも残り稽古を自らするようになった。家に帰ってからは毎日素振り。恋の力、凄まじい。顧問の先生や夜剣の先生たちに期待されなくても、理科の先生だけが心の支えだった。そして自分だけは自分を信じようと思った。
『必ず優勝する!必ず優勝できる!!』と。
結論からすると、県大会で優勝し全国大会に出場することになったのだが、理科の先生が来ることはなかった。儚い恋は儚い形で幕を閉じた。頑張った意味ってなんだったんだろう。そのまま引退したのだが、何回か非公式の大会に誘われて出場したりはした。けど申し訳ないが、声もまともに出すことができず無気力試合をした。観客やママに悪口を言われたりした。けど、そんなのどうでもよかった。
数日経ってから部活の関係者によって引退パーティが開かれたのだが、3年生が1人1人挨拶をする時間があった。周りの子たちは、仲間や後輩・先生方への感謝の気持ちを述べたりしていた。でも自分は違った。その時言ったことを今でも覚えてる。
「こんな辛い剣道、
自分の子どもには絶対やらせたくないです。」
時は過ぎて高校に入学した。当時好きだった子(理科の先生とは別に新しく好きな子ができた)がその高校を狙っていると知ってからどうしても行きたくて剣道推薦で入学したのだ。でも剣道部の部員とはいろいろ合わなくてほんの数ヶ月でやめた。
自分の剣道人生はここまで。やっと剣道と縁を切ることになった。
剣道をしなくていい人生は素晴らしかった。辞めてすぐ友達と放課後マックに寄った。それだけですごく楽しかった。自由があること、自分が選択できることに感動した。2年生になったら、ずっと興味があった放送部に入部した。部員はみんなのんびりしていて好きな時に活動した。
今も好きなことをし続けている。ひたすら遊び続けたり映画を観続けたり旅行してみたり。けどたまに剣道の話をされると非常に不快な気分になる。「やってたように見えない!弱そうw」なんて言われた時にはどうしようもなく殺気に満ちる。お遊びで剣道やってたとか思われるのが1番嫌だ。ずっと消えない辛い過去なのに。
そんなこんなで、自分は9年間続けた剣道を通して体験したことが、今でも思い出したくない過去の1つである。ネットなどで写真や動画など見かけると嫌な気分になるし、家族に剣道の話をされると「剣道が大嫌いだ、二度とやりたくない。」と言わずにはいられない。
けど困ったことに、剣道のおかげで今がある。高校や専門学校への入試、就活での面接では必ず剣道の話をしたし、その度に高い評価を得た。長く続け、かつ結果を残したこの経験は人生の強みになった。
そうして、それを実感する時いつも複雑な気持ちになる。だからと言って、自分は子どもが嫌がっても1つのことを長く続けさせるのか?と。
おしまい
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?