「ビッグ・フィッシュ」の主人公は誰か

【チャレンジ 20/20】

ティム・バートン監督作品「ビッグ・フィッシュ」を観ました。
前まで、映画で泣くことってあまりなかったんですが、最近はよく泣いてしまいます。歳かな。
この映画はラストシーンがめちゃくちゃずるくて、泣くなんてもんじゃなく、咽び泣いていました。
そんな「ビッグ・フィッシュ」の魅力についてお伝えできればと思います。

エドワードの人生という物語
この映画は、エドワード・ブルームとその息子、ウィル・ブルームのすれ違いを主に描いているのですが、全体としてみると、エドワードの人生を物語にした作品でもあると感じました。
というより、エドワードの人生が「ビッグ・フィッシュ」というタイトルの物語だったというべきかもしれません。
エドワード自身も、自分の死に際のことを”surprise ending” や“last part is much more unusual” と表現しており、物語の終わりと捉えていることが分かります。


エドワードの話は信じがたい出来事ばかりで、それが息子との軋轢を生む原因となっています。また、少年時代は急激に成長したように語られるのですが、人生を2時間分にまとめるのですから、そりゃ誇張したり、不要な箇所は飛ばされたりするよなぁという感じです。急激な成長も、物語として考えればテンポを良くするためのテクニックだったと受け取ることができるはずです。

また、運命的なシーンは劇的に表現されており、それがまたロマンチックです。

「運命の女と会うと——
本当に時が一瞬止まる」

と、妻と会った時のことを表現するエドワードですが、このシーンはとても印象的です。
サーカスで若き日の妻を見つけるエドワード。
すると、周りの動きが完全に止まり、動いているのは自身だけになります。
静止した演者たちの間をくぐりぬけ、空中に浮いたポップコーンのカーテンを払い妻へと近づいていくエドワード。
もちろん、劇的なシーンを「時が止まったかのよう」と表現することは珍しいことではありませんが、それを映像として表現されると尋常じゃなくロマンチックなものになるのだと気付かされます。
また、妻の好きな水仙の花をエドワードが送るシーン。こちらも現実的な線で考えれば、せいぜい手に抱えきれないほどの花束を渡した程度なのでしょうが、この映画は庭一面を水仙の黄色で埋め尽くしてしまいます。
そこまで突き抜けた表現をされると本当に痛快で、うっとりとしてしまいます。
これは単純な嘘というよりも、エドワードにとってはそれほど劇的な出来事だったのだと捉える方が自然でしょう。ウィルの出生も相当に大切な日として語られますが、それほどまでにエドワードにとって身の回りの家族が大切な存在だったことが分かります。

ラストシーンの魅力

そのようなロマンチックな嘘で誇張された話のラストは、やはり同様、いやそれ以上にロマンチックで劇的でなくてはなりません。
映画のラストで、息子のウィルはエドワードに「私が死ぬ時の話をしてくれ」と頼まれます。
この死ぬ時の話というのは、エドワードが幼少期に魔女の瞳で見たと語ったものですが、その詳細については明かされていません。
そんな、その時点では誰もしらない、ともすればエドワード自身も知るはずのない、彼の人生のクライマックスをウィルは語らなければいけないわけです。
ウィルは父とは真逆で現実的な話しかしない人物として描かれているのですが、そのような人物が果たして父のラストにふさわしい物語を語りうるのか。私はとても不安になりながらそのシーンを見ていました。
しかし、ウィルの語ったラストには、父の物語で登場した魅力的な登場人物たちが誰一人かけることなく、彼の最期を見送ったのです。
これ以上にエドワードの物語のラストにふさわしい演出はないと私は思いました。それを、エドワードと仲違いし、相容れないと思っていたウィルが語ることがとてつもなく泣けるのです。
もちろん、この映画のことですから、それを映像で全面に押し出して描きます。このシーンで泣かない方が難しいでしょう。

ビッグフィッシュとはなんだったのか

英語で"big fish" は偉大な人物とか、力のある人物を表現する際に使うようです。また、"a big fish in a small pond(小さな池の大きな魚)"として、小さな集団・世界の中で力のある人物という表現もあるようです。これは「井の中の蛙大海を知らず」と同じような意味ですね。
私は、エドワードは彼の人生という物語の中のビッグフィッシュだったのだと思いました。
映画自体としてはウィルとエドワードが主役になると思うのですが、映画の半分くらいの割合を占める、エドワードの物語の主役は紛れもなくエドワードだと思いました。
映画冒頭にビッグフィッシュを釣り上げるシーンがありますが、このシーンは物語的には彼の息子への並々ならぬ愛情を表すとともに、映画としてはビッグフィッシュの物語の主人公を描いたシーンだったのです。
彼の人生という物語では彼こそが主役なのです。
そして、ラストシーンではエドワードはビッグフィッシュとなり川を泳いでいきます。

「話を語りすぎて本人が話そのものになってしまった」
「話は語り継がれ——
彼は永遠に生きるのだ」

彼が自身の人生という池のなかのビッグフィッシュであり、その物語こそ彼自身に等しい。
その物語は脈々とかたら語られていくのです。

おわりに

ダイナミックな演出で視覚的に訴えてくるのはさすがティム・バートンという感じの作品でした。
日々の出来事を、文字に起こしてみたり、写真をとったり、ましてや動画に残しても、その瞬間の感動を完全に再現することはできないと思います。
それを再現しようとするならば、現実を超えるダイナミックでロマンチックな表現が必要になるのです。
登場人物がの心象を印象的に表現する手法がみごとな作品であると感じました。

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