見出し画像

11/17「北朝鮮帰国者」の記憶を記録する会シンポジウムに参加して

会場は早稲田大学の広めの教室。

北朝鮮帰国事業は主に戦前に親が日本の植民地であった朝鮮から日本へ渡ってきて、本人や子たちが、戦後、北朝鮮に多数帰国したことである。1950年代末~1960年代前半がピーク。朝鮮戦争後の復興に労働力を欲した北朝鮮、差別と貧困の中故郷(新天地とも言える)を求めた在日の人々、そして「人道」の名目で厄介払いを考えた日本、そしてアメリカ、ソ連……冷戦体制下の思惑も複雑に絡み合った問題の闇は深く、(とても肯定できる体制でないのは確かだが)「北朝鮮はろくでもない国だ」では片づけられない複雑性を持っている。

・(会場で大学時代の恩師に会った)おー!少し前に会ったばかりだね!また吞もうね。

・帰国事業で北朝鮮に渡り脱北された方。親族が大勢北朝鮮に渡った方が登壇されました。

・悲惨な体験、北朝鮮への幻滅などが主に語られる一方、柔道の選手で優遇された人、比較的配給が優遇された人など、北朝鮮での生活経験には多様性がありました。
しかしもちろん北朝鮮を評価する人はおらず「ソ連が鉄のカーテンなら北朝鮮はダイアモンドのカーテンだ。外の世界と情報が一切遮断され都合の悪いニュースは入ってこない」
「あそこは鳥かごなんですよ!」
という言葉が印象に残りました。

・中学入るくらいの多感な時期に北朝鮮に渡り、「次元が何もかも違った。180度日本とは変わり、何をしてもしんどかった。飲み水や気候から違う。病気をよくし、悲観的になった。でもクラスで同じ帰国者と仲良くして一緒に語り合い授業をさぼったりして、ストレス解消で救いになった」

・「姉が完全に北朝鮮支持の活動家だったから完全に信じてたのに、帰国直後に、大学行きたいと希望したら、あなたみたいな22才の女が大学なんて今更行ける訳ないだろう、と一蹴され幻滅。その後統合失調症にかかり北朝鮮の有名な精神病気で入退院を繰り返し、死んだ。北朝鮮では罪を犯した人と精神病者は統計から消され、人間扱いされないんですよ」

・密告があり何人かの知り合いの帰国者が収容所に連れて行かれたから、帰国者同士だけでつるんだ人もいれば、もともとの現地の人とも親友になった人もいる。
「南北統一されたら語り合いたい人はそりゃあいますよ」

・しかし結婚は基本帰国者同士のみ。もともとの住民としても上手くいかないケースが。

・帰国者が異分子扱いされ差別された一方、帰国者の方も現地の人を見下し差別感情があった。

・90年代後半の「苦難の行軍」はやはり凄まじく、工場を襲撃して銅線を闇で売って食べる、などが多発。

・苦難の行軍時には逆に頼られたり、保衛部に日本からの送金をワイロとして渡し脱北したケースも。

・苦難の行軍時には人がバタバタ死に、パンを手に持ったまま幸せそうな顔で餓死した幼児。道端で会い挨拶した人が直後にひっくり返って亡くなってた、などの状況。

・韓国の脱北者支援には(韓国在住の方もおられた)感謝してるが、友達もいなかったり、研究者によると韓国に来てから脱北者の餓死事件が起きたりして、資本主義国家韓国も問題は少なくなさそう。
「脱北者がもらってる支援金だと都市部じゃ相当生活難しいはずです」

・終わった後早稲田大学のほとんどの門が閉まり、出口が分からないから、たまたまシンポジウムに来てた別な人についていきお茶をすることに。
一人は韓国人留学生の女性(穏やかな方。文在寅支持だが北朝鮮情勢含め大きく状況は変わらないだろうとの見方。日本との認識ギャップについて淡々と話されていた。韓国のデモは実はお祭り的な面もある。韓国は日本より全然キャッシュレス進む)
もう二人は割と年配の日本人男性二人
(北朝鮮に昔は救援物資送ったり今でも北朝鮮の人権問題を映画の上映会を通して広める活動などをされている。しかし冷静で、「北朝鮮の発表が全て間違ってて韓国の情報が全て正しいということもない」とのこと)

・カフェでは息苦しくなる日本社会も話題に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?