見出し画像

嫉妬より厄介な自己嫌悪という感情~能力主義から離れ自由に能力と向き合う~

嫉妬より能力主義に縛られた自己嫌悪の方が厄介だと私は思います。

嫉妬も問題は多々あるでしょうが、まだ分かりやすい。「自分がしたかったがやらなかった/できなかったことを友人や家族がやっていて胸がざわつく」「自分が何も頑張らなかった/頑張れなかった時期に親友は何かを頑張って成し遂げ、凄い好きな関係のはずなのに恨めしくなってしまう時がある」等、何かしら、自分の中にある負の要素や関係性が大きくある時に嫉妬の感情は起きやすい気がします。

しかし、「自分は自分でそれなりの個性と達成のある人生を送り、あまり後悔は無いのに、親友や家族の(自分には無い)達成を見てしまうと胸がざわつく。苦しくなる。しかも親友や家族の成し遂げた事は自分のやりたい事では無い」となると、嫉妬より複雑で厄介な感情です。

とにかく自分に何らかの能力や達成が無いことが分かると自己否定に陥る。能力主義に無意識レベルで蝕まれている訳です。しかし万能の人間はいませんし、隣の人とあなたを比べても、全ての面でどちらかが劣っている/優れているというのはあり得ません。(そもそも比べる必要も無い訳ですが)

自己嫌悪に苛まれる人は成功者ほど多いでしょうから、新たな努力を重ねると逆に虚無感が増すリスクがあり、ゆっくりじっくり考え方を変えていく必要がありそうです。

それにしても、自己嫌悪に苛まれる人は何故そうなってしまったのでしょうか。

良い成績。良い学歴。輝かしいキャリア等、はっきり分かりやすい成果を示さないと親が愛してくれなかった。学校であらゆる形の能力で順位付けされてきた。資格、ダイエットや美容、転職等「今は何かが足りない状態だからこれを手に入れるべき」と盛んに煽る広告やSNSに晒されて来た。そもそも資本主義があらゆる形で能力主義を刷り込むシステムである。

考え付いたものを上に挙げてみましたが、どれもが原因でしょうし、人によって影響を受けた要素に濃淡があるでしょう。そして上に挙げた原因に共通するのは「評価者がいて完成形を提示し、それ以外は駄目」と単純な白黒を付けられてしまうことです。

「複雑な完成形」は寧ろ好まれません。私の趣味に照らし楽器と英語で考えてみたいと思います。

「ギター教室です。簡単な曲の弾き語りを何曲かスムーズに弾けるよう教えます。Fコードとか難しいコードはまあ運が良ければ弾ければいいですよね。え?ギターどころか歌も下手?いえ。教える側も生徒も一緒に楽しめるようになることが当教室の目標なので気にしてはいけません」

「英会話教室です。簡単な挨拶とある程度の趣味の話は楽しくできるようにします。後カラオケでいくつも英語の歌をかっこよく歌えたらいいですねえ。え?日常会話がある程度できるようになったらどうしたらいいですかって。それは自分で考えてください」

上のような広告は見たことがありません。何でもスムーズに弾きこなせるとか、日常会話は元よりビジネス場面でも困らない「素晴らしい完成形」が提示されることが多いのではないでしょうか。

しかし「素晴らしい完成形」というのは本当に個々人が望んだものなのでしょうか。必要にかられて学んでいるし、本当に望んでいる人も一定以上いるでしょうから、もちろんそれはそれで良いと思います。向上心は素晴らしい。
一方、上に挙げた「複雑な完成形」を個々人それぞれで持っている場合も多いのではないでしょうか。

「素晴らしい完成形」を本当は望んでいないのに、広告等で刺激され自らの「無能力」が怖いから望んでいるかのように振舞い、本当に達成してしまう……達成自体は素晴らしいですが、もしかしたらそこで楽器も英語も対象に興味を無くしてしまい、また別な事が自分はできないと不安に駆られるのかもしれません。

「素晴らしい完成形」の全てがよくない訳では、もちろん無いと思います。何となく興味はあるが目標を持ちにくい人のために「こういう素晴らしい技もできるかもしれない」と示すのはいい事です。興味があるのにきっかけが掴めず、何も挑戦できず、結果無気力になるのもつらいことでしょう。

「素晴らしい完成形」を参照にはしつつも執着せず、「この曲、このフレーズばかり弾きたくなる時がある」「この洋楽さえ歌えたらひとまず嬉しい」というような自分の癖を愛し、敢えてしばらく留まってみること。そうすると、対象物(例えば楽器や語学等)と自分がどう関われば楽しいかだけでなく、対象物含む世界のあらゆる物事と自分の関わり方のコツが見つけやすくなり、人生が豊かになるでしょうし、回り回って練習したい物事の習得も早くなるでしょう。

しかしひとまず、役に立つ立たないに関わらず、自分の癖を愛してみることが大切だと思います。

(以下ブックガイド。本記事の執筆に影響を与えた作品です。ちなみに自分自身や周囲の人を含め、この記事は具体的人物に当てはめて書いた訳ではありません。念のため。逆に言えば、私自身含め、多くの人に嫉妬も自己嫌悪もある程度は関わりそうな、普遍的テーマかもしれません)

「友人の結婚式」後、激しく落ち込む30代男の内心 漫画「路傍のフジイ」(第1話・前編) | 路傍のフジイ | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)

シンプルに、能力や社会的評価等に縛られず関心のあるもの好きなものを追求している人が説得力を持って描かれている漫画作品です。

【紀伊國屋書店スタッフによる 書評<的>空間】 『生きる技法』安冨歩著 | 本の「今」がわかる 紀伊國屋書店 (kinokuniya.co.jp)

条件付きでしか愛してくれなかった極端な性格の家族に子供の時も大人になってからも影響され、数々の社会的成功を収めながらも満たされず、苦しんだ末に辿り着いた自己嫌悪からの脱出方法と、気持ち良く自らに眠る力を呼び覚ます方法についての本です。(自己嫌悪という言葉について深く考えるきっかけになったのは本書でした)

作品社|鶴見俊輔、詩を語る (sakuhinsha.com)

完璧とも言える家柄に生まれながら、何でも優秀な父や子(鶴見俊輔氏)を愛し過ぎるが故に徹底的に縛ろうとする母との関係に苦しみ、日本の学校に馴染めず10代後半でハーバードに行き、その後も数々の名作や仕事を生み出しながら、「何でも優秀な一番秒」を日本社会の病理と非難し、鬱に苦しみながら人間以外(例えば石とか)になりたい。「もうろく語」を話したい。と強く願い続けた哲学者の対談です。(聞き手は谷川俊太郎氏と正津勉氏)

この本では鶴見俊輔氏を縛り続けたという母自身が自己嫌悪に囚われていたのではないか、という話が出て来ますが、能力主義や白黒付ける思想と(それらを全否定せず)いかに対峙するか、というテーマが本の全体に通底しているように読め圧巻です。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?