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UNHCRの寄付の話を聞いて~誰もがストリートにて何者かになる時代~

駅が地下化した調布駅周辺は広場だ。新しいショッピングモールもあれば、古びた建物や公園も見える。バスロータリーをグルグルして、深大寺他の方面に向かうバス。ある日の夕方、私は映画館でチケットを買ってブラブラしていた。まだ時間がある。ちなみに誕生日の前日だった。

広場の中心で、大きな青い看板を掲げUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)への寄付を呼び掛ける人々がいた。正確にはUNHCRの窓口となるNPOが寄付を呼び掛けているらしい。自分の知っている人が寄付会員となった話を聞いていたのもあり、何となく立ち止まって、話を聞いてみることにした。

「一分だけ!説明してもいいですか!」

ハキハキした口調の女性から説明を受ける。時間があるので一分と言わず5~10分くらい説明を聞いていたと思う。情熱的かつ話を聞く私への感謝を常に失わない丁寧な対応。世界中の難民の数。子供の割合。格安で供給できる栄養物の話。元の健康状態や生活にまで戻れる期間の話。そして月3,000円、月5,000円、月10,000円から選べる寄付会員の話。(この他には種類は無かったと私は記憶している)

女性自身の話も興味深かった。13時からここで呼びかけを続けていること。おじいちゃんから戦争の話をたくさん聞いて育ったこと。別な仕事をしばらくしていたが人の役に立ちたいと募金呼びかけのボランティアを始めた事等。たまたま暖かい日ではあったが、まだ冬っぽい季節に、数時間も元気さを失わずに、通りを過行く人々に募金を呼び掛けるのはそれなりの気持ちと体力が必要だろう。

結局私は会員になることにした。途中でお互いの誕生日が近かったり、共通点が多いことが分かり、話が盛り上がったのもある。

もしかしたらそういう話の持って行き方を含めて、彼女の「戦略」なのかもしれない。いや、そんな「戦略」は皆無で、ある種の布教などをしている人に似た情熱で、ただただ純粋に語り、喜んだのかもしれない。いやいや、純粋であることと戦略を持つことは矛盾するとは限らない。

一方で、大きな話をすれば国連自体が深刻な財政難だと言う。

財政難。別に国連だけじゃない。日本国も財政難。名だたる大企業も過去の栄光は無い。自治体も財政難が多い。「昔と違い同じ場所で頑張り続ける人生は無理がある」とはよく言われる。昔だって色々あっただろうとは思うが、あらゆる権威が崩れ流動性が高まっているのが現代、というのは間違ってないだろう。

地域の繋がり等を元にした農業、自営業が非正規労働に置き換わってきたのがここ数十年の日本の流れで、これからは大企業や終身雇用型も、じわじわ変化していくだろう。軽率を承知で言うと、誰もが「難民」となりかねないのだ。

そして「嫌な事でも我慢して金を貰い、『伝統的家族制度』に適応する」という訳には行かなくなっている。ストレス前提の適応よりも自分に合うことや好きなことに仕事を寄せていって、探求していった方が効率も良いはずなのだ。そして、前の世代より長く働かないといけない時代になるだろう。

しかし、前の時代よりも「我慢」に対価が支払われないとなると、シンプルに好感度を上げて、対価を貰うようにしないといけない訳だが、これは意外に過酷だと思う。ビジネススキルはもちろん、身だしなみ、話し方、教養等、あらゆるところを磨いて、好感度アップに繋げていく訳だが、当然にお金がかかる訳で、高い対価を貰うところを目指すほど、お金を多く払わないといけない、というスパイラルになるのだ。そして多くの人が、経済的に豊かでは無くなってきている。

誰もがストリートに出て表現しなきゃいけない未来。ここまで行ってしまうと大げさかもしれないが、調布での出来事からふと考え続けていたら、そこまで未来予想図が描かれていた。

しかし、止まって話を聞いてくれる人が少なかろうが、一生懸命声をかけ、難民支援を呼び掛ける行為は崇高である。未来がどうなるとか、稼ぐためのスキルとか、そういう次元ではないのだ。

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