見出し画像

二つの「9.11」~暴力は見えているものだけを目指し、見ないふりをされた人々は運命を選べない~

毎年この日になると二つの9.11を考えます。

1973年チリの9.11

2001年米国の9.11

前者は民主主義的選挙の結果、初めて誕生した社会主義政権である、チリのアジェンデ政権が民衆(特に貧しい人々)に支持され産業国有化等の社会主義的政策を行い、チリの金持ちや米国の利益を脅かすものであったため、CIAが裏を引くクーデターで、紆余曲折あったものの、最後まで民主主義のままで、リーダーのアジェンデごと社会主義が葬られた「9.11」です。

その後はチリは独裁者ピノチェトの下で、長く「国家テロ」が吹き荒れることとなります。去年からの大規模運動はピノチェトの残滓が民主主義に戻った際も根強く残っていることへの抗議も含まれています。

後者はよく知られていることでしょう。卑劣なテロの犯人の源流をたどれば、ソ連の対アフガニスタン侵略に対抗するため米国が援助を続けた組織でした。チリもアフガンもそしてニューヨークも、表層的なメディアの報道を超える目で見れば、どこかで血の繋がりを見出すかもしれません。

チリの独裁者は実は中国と仲が良かったですし、アメリカの対テロ戦争に中国は協力的でした。ビンラディンやフセイン等、米国が支援した怪物が噛みついてきたら(または噛みつくように見えたら)今までは少なくない民衆を巻き添えに潰せましたが、中国という「怪物」はそうは行きませんね。こうしたことも、表層のメディアでは辿れない線を、洞窟を潜るように辿っていくと、意外と鮮明に見えるかもしれません。

しかしとにかく言えることは、人は生まれるところを選べない。チリの人も米国の人も、アフガニスタンの人もイラクの人も、チベットやウイグル含めた中国の人も。

香港やベラルーシのようにメディアの光に当たらないまま、全く動きそうもない「岩」に潰され死んでいく人もいるでしょう。

無理に結論が出せる話でもないので、これくらいに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?