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キューバ旅行記(8)~青い海と青い空の狭間の白い要塞で、ゲバラの足跡を知る~

 翌朝。やはりホテルの屋上で食べる朝食は良い。屋上から見える、要塞等がある島、カサブランカ地区。
 今日はタクシーでそこに行こう。人通りが多くなる前に行こうと思い、朝食後ホテルの部屋でパッパと準備を済ませ、八時過ぎにはホテルを出た。
 オビスポ通りを歩いていると、とある建物の出入り口横に、濃いタッチの巨大なゲバラの絵が、建てかけてあるのに気づき驚く。


 よく見るとCDR(革命防衛委員会)の建物だという。文字通り革命を防衛するための相互監視組織で、反革命の摘発を任務としていたが、現在では福祉や社会的な組織に変貌している。何やら中では展示をやっているみたいだが、組織名の仰々しさもあり、あまり建物前で立ち止まれないと思い、すぐに歩き出した。

 通りの終わりにある交差点付近にはたくさんのタクシーが止まっている。黄色いタクシーを探し、外で寛いでいる黒人運転手にガイドブックの地図でここに行きたいと示す。
 値段を聞くと10クック。国営は一律この値段か。
(ただメーターが作動しないから国営だろうが国営じゃなかろうが、最初に値段は聞くべきだろう)
 タクシーに乗る。タクシーは勢いよく走り出し、クラクションを盛大に鳴らしながら(必要なら犬にも!)歩行者や自転車に対してぶつからなければいいとばかりにスレスレで運転する。
 旅行全体を通じて思ったが、キューバ人の運転は上手い。それは間違いない。しかし(地域差等はあるが)日本のように、注意深く歩行者に譲ったり、車間距離を確保したり等、安全面に加え礼儀やコミュニケーションも含まれた運転ではなく、とにかくぶつかって事故さえ起こさなければいいという、「物理学」的運転なのである。
 確かに人と車、車と車同士がぶつからなければ物理の世界では事故にはならないが。
 
 晴れた朝のハバナを疾走していく、窓の開いたタクシー。風が気持ちいい。そして運転手は陽気な人で、「チーノ? ハポン?」と聞かれたので「ハポン!」と答えると、「ハポン!クーバ イ ハポン(両手をハンドルから離しガッと握りながら)アミゴス!」と言う。「友達」と言ってもらえると嬉しい。しかし、一瞬とはいえ両手離し運転は控えていただきたい。
 
 海の見えるところでぐるりと曲がり、トンネルへと入る。ゴオオオ……海底を抜け、すぐに島に着いた。草原が広がっていて、その奥に要塞と、青々としたカリブ海が見える。運転手がゲバラ邸の行き方等を教えてくれ、握手して別れる。とりあえず、草原の上を歩く、透き通った海と空が本当に綺麗だ。映えだ。映えだ。昨日散々歩き回ったハバナの街並みも見渡せ、おじいちゃんに案内されて行った通りも見えた。

 石を積んだ壁の隙間には大きめのトカゲがごそごそしており、尻尾を丸めたりしていた。よく見ると芝生の上を複数のトカゲが素早く走って、芝生の上にある、鉄板の蓋の影に隠れて行った。

 モロ要塞の出入口付近に行くと、雑貨屋台が奥まで並んでいるスペースがあり、出入り口付近の小さな広場では観光客が貯まっていた。(日本人が多かった)出入り口の洞窟のような穴に入ろうとする観光客。容赦なく浴びせられる警備員の笛。「すみません。まだ開館前なのでご遠慮ください」ではないのだ。

 入館時間になり、洞窟の中に、行列の一番後ろにくっつくようにして入る。入館料を払い、天井ギリギリの狭い道を歩いていく。遠くに見える光が徐々に近づいていく。洞窟を抜けた。海の向こうにハバナ市街が見える景色の良い場所。
 ここから先に行くには、立っている係の人にチケットを渡さないといけないみたいだ。チケットを貰った覚えが無い。カタコトの英語で「金を払ったがチケットを貰ってない」と言うが、何かを言われ、聞き取れない。「チケットは貰えるはずだ」と言われたと解し、長い洞窟のトンネルを引き返し、金を払った人にチケットを要求するが、何かを言われる。
 言葉は何も理解していないがここで一つのことを直感し、またまた長いトンネルを抜け、レシートを渡すと、先に行くことができた。(特に言葉の壁が厚い海外では)こういうことでも達成感を得てしまう。
 タクシーにスムーズに乗れるようになっただけでも気持ち良かった。
 
 要塞というのはもちろん人工物だが、スペイン時代からあったから自然に溶け込んでいる。半分自然な雰囲気もある。
 大きな洞窟のような広くて薄暗い部屋がいくつかあり、スペインの植民地時代や英国上陸の際の歴史についてのパネルや、当時の木造船が展示してあった。
 部屋から外に出て、ゴツゴツした石の上を歩き、ブラブラしていると、道順が分からなくなり、色々と道を試している内に、さっきはここから登ったな、というのが分かったりする。キューバというか、ハバナらしい。白い要塞と海と空と、向こうに見える市街の景色が綺麗だった。後、日本人でキューバを旅した後にトロントに行く、という人と出会った。
 

 モロ要塞を出た後は、車道の横の野原を歩き、カバーニャ要塞へと向かう。少し前を、中年近い男女五人組が歩いている。日本人だ。モロ要塞の時にも近くにいた。
 感じなくていい気まずさを感じながら歩く。車道の左側の野原の犬たちが、車道の右側の犬に向かってしきりに吠えている。威嚇する犬というのは、ハバナでは珍しい。だいたい皆のんびりしているからだ。要塞の入り口に近い道には色とりどりのタクシーがズラッと並んでいる。

 カバーニャ要塞への入場料を払い、要塞の中へ。トンネルを抜けて、大砲の弾がピラミッドみたいに積まれた広場をぶらぶらして、橋を渡る。

 石垣の中はまるで街のようだ。広い道の両側に石の建物が長く続く。石垣の中で人がくつろいでたり、展示か何かの準備をしていたり、工事してたり、人が住んでいる訳ではないだろうが、それなりの賑わいがある。要塞の中は道も建物も整然としてて、さっきみたいに迷うこともない。

 モロ要塞と同じで石の建物内で歴史の展示などがされているが、1980年代まで反革命罪で捕らえられた人を収容する刑務所として使われていたが、その後の改修を経て一般公開されたという説明があり、少し怖さを感じた。露骨な説明だ。

 しばらくぶらぶらした後、一階建ての黄色い家に入った。ゲバラの執務室だ。すっきりとした広めの部屋に、写真やゲバラ愛用のニコンのカメラ、彼が使用していた銃や服等が展示してある。

 彼が仕事していた机や椅子、家族にアフリカから書いた手紙もある。

 係の人に恐る恐る撮影していいのか聞き、撮影する。(全く問題無かった)印象的だったのはコンゴで撮ったというワニが口を開けている写真。毛沢東、周恩来、チトー、ナセル、スカルノといった各国を訪問した際の指導者との写真。そして、広島の平和記念公園で献花する写真。広島の写真は各国指導者との写真の中に展示されており、キューバが原爆投下という出来事を重く見ていることが伺える。

 一通り回り終え、来た道を出口へと戻る。時計を見るともう十二時である。どこでご飯を食べるか考え、ガイドブックと睨めっこした結果、ホテルアバナリブレまでタクシーで行き、昼ご飯を食べることにした。お土産用にCDを買いたくて、CDショップがアバナリブレ近くにあることが分かったのだ。

 要塞へ入る前にも見た、タクシーの列の横を歩く。赤い服のチャラそうな兄さんが歩いてきて「タクシー?」と声を掛けてくるが、「ノーノー」と断る。選択は慎重にしたい。
 黄色い国営を探し、車の傍の日影で休むおじちゃんに声を掛ける。「ホテルアバナリブレに行きたい」と。しかしおじいちゃんは「場所が分からない」と言い、さっき断った兄さんに声を掛け、アバナリブレまで行けるかとかなんとか訪ねだす。
 兄ちゃんは頷き、結局は彼のタクシーに乗ることになった。古びた車。(キューバでは珍しくないが)後部座席にシートベルトが無い。助手席には彼の友人と見られる男が乗っている。

「さっきノーと言っただろ? そんな、心配いらないって」

 発進する車。大音量で流れだすラテン系音楽。旺盛に雑談する前の二人。
 キューバ人の「心配いらない」は、正確には「心配があったとしても気にしない」だと解すれば、前向きな人生哲学になるのではないか。

 トンネルを突っ切り、市街のクラクションの海へ入る車。市街を滑走する快感と、どれくらいの運賃を言われるかという心配が胸の中で同時に渦巻く。しばらくして、昨日も見た巨大な建物と、観光客やタクシーで溢れたロータリーが見えてくる。アバナリブレだ。海沿いの高級ホテルを思わせるような佇まい。(実際には海から離れているが)

 タクシーが止まり、25クックと言われ、そのまま払う。グラシアスと言い別れる。送迎ガイド曰く20クックを超えたら高いから値切れ、とのことだったが、それなりに遠い場所だったし、30越えなきゃいいかな、と思ってたから、そのまま払ったのだ。(続く)

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