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あらゆる障害は多数派か少数派かの違いに過ぎない

あらゆる障害は、多数派か少数派かの違いに過ぎません。多数派を健常者、少数派を障害者と言っているだけです。


たとえば、私は絶対音感を持っていますが、仮に、絶対音感のある人が大多数で、ある人だけ絶対音感がない状況を考えてみてください。そうすると、世の中は、絶対音感を持っているのが当たり前で回っているはずで、「このチャイムは、ミの音のときは佐川急便で、ラの音のときはヤマト運輸ですよ」という会話が日常的になり、その人(持っていない人)は、日常的に「困る」ことになります。つまりその人(絶対音感のない人)は障害者です。


世の中のほとんどの人間(いや全員ですが)は、空を飛べません。それ(空を飛べないこと)を「障害」と言わないのは、ほとんどの人(いや全員ですが)が空を飛べないからです。もし、空を飛べる人が大多数であれば、おそらく世の中に階段やエレベーターはないでしょう。みんな、マンションの5階でも10階でも、空を飛んで、行きます。こういう世の中で、もし空を飛べない人がいたら、その人は、たいへんな障害者でしょう。私たちはみな空が飛べませんが、それを障害と言わないのは、みんな空を飛べないからだけなのです。


私はよく「常識がない」と言われます。それは発達障害だからだというわけです。しかし、実際は、人と人の意見がぶつかるとき、多数派を「常識的」と呼び、少数派を「非常識」と呼んでいるに過ぎません。現に、非常識なほうが多数派だったら、もはやそれを「非常識」とは呼ばないでしょう。


私はよく「空気が読めない」と言われます。これも、発達障害に典型的な症状です。しかし、正確に言うならば、私は、「多くの人と違う空気を読んでいる」ということなのです。


ある人が書いている本で読みました。ろう学校に取材に行ったそうです。ろう学校の生徒さんたちは、手話でたのしく雑談をしており、まるで自分たちのほうが障害者みたいだったと書いてありました。これも、耳の聞こえない(手話のできる)人が多数派で、手話のできない人(著者一行)が少数派だったら、手話のできない少数派の人のほうが障害者になるという例です。


私は、生まれつき脳の発達にかたよりがあって、できることとできないことの差が激しいと言われます。まさに発達障害ですが、それは世の中の多数派の人を基準にしているから私が「かたよっている」と言われるのであって、もしも私が基準であれば、なにもかたよっていません。運転ができない、料理ができない、段ボールしばりができない、勉強はできる、そういう私が基準であれば、私はなにもかたよっていません。ただ、世の中の多数派を標準として見る限り、私は「脳の発達にかたよりがあり」「できることとできないことの差が激しい」と言われるだけです。


知的障害も同様です。2+2ができないと障害と言われますが、これは、多数派は2+2を理解していて、それで世の中が回っているので、2+2がわからない人は障害者と言われるのです。cos60°がわからなくても障害者とは言われないのは、多くの人はcos60°は忘れている(もしくは最初から理解していない)からです。
「多くの人が2+2を理解していなかったら、社会は回らないだろう」と言うなかれ。鳥の世界は成立しています。また、逆に、われわれよりも知能の高い生物からみたら、環境問題ひとつ解決できないわれわれ人類は、とても世界を任せられない「障害者」であるとも言えます。

車いすの人は、「障害者」と言われますが、これも、車いすに乗っている人は、少数派なので、社会全体が、車いすでない(歩ける)人を前提にまわっているため、車いすの人はなにかと不便(障害)をするので、車いすの人は「障害者」と言われるだけです。みんなが車いすに乗っていれば、車いすは障害でなくなるでしょう。現に、近視でメガネをかけている人は、普通、障害者と言いません。これは、メガネをかけている人は、かなりたくさんいるためです。

私は、色覚障害(色弱)でもあります。赤と緑の区別がつかず、ときどき非常に不便をします。これも、私のような色の見え方をしている人が少数派だから、障害と言われるだけで、もしも私のように見えている人が多数派ならば、それを前提に社会はまわっているはずで、私は色覚「障害」ではなくなります。

私は睡眠障害でもありますが、これも、世の中の多数派は、睡眠薬を飲まなくても眠りにつくことができ、個人差はありますが、7時間くらいの睡眠で足りて、仕事ができるという、それにあわせて私が寝たり起きたりしなければならないので、障害と言われるわけです。世の中の多数派が、私のような睡眠サイクルを持っていれば、世の中はこれを基準に回るはずなので、私は障害でなくなります。


 このことは、あらゆる障害について言えます。多数派を標準として世の中が回っているため、少数派が生きるのに苦労をするので、「障害」と言われるだけです。

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