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ショートメッセージ:一病息災

 「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。」(新約聖書ルカによる福音書11章24節-26節)


 きょうの聖書の箇所をもう一度、よく読みましょう。汚れた霊が人から追い出されると、行き場がないので、もといた家に戻ってくるんですって。すると、とってもきれいになっているので、自分よりももっと悪いたくさんの霊を連れてきて住みついて、結局その人は、もとの状態よりも悪くなってしまうんですって。この話で、イエスさまは、なにをおっしゃりたいか。これは、完璧主義への警告ですよ。


 完璧主義を貫き通して人生を歩むと、自分にも他人にも、とんでもないストレスをかけ続けて生きることになります。「おれは正しい!」「おれは正しい!」「あいつは間違っている!」といった感じで、結局、他者を裁き続けて生きることになります。でも、それって、結局、自分自身を裁いているのですよね。他人を責めて、自分を責めて、生きるのです。完璧主義を貫き通すと。それよりは、ちょっとは自分も間違っていて、それを認めつつ、他者も自分もゆるしつつ生きるほうが、よほどましだとは思いませんか。


 病気もそうです。絶対に病気にはかからない!健康第一!もし風邪を引いたら、絶対に完璧に治す!薬は絶対に飲まない!と言いつつ生きるのより、ひとつかふたつ、病気を持っていて、それとうまく付き合いながら、細く長く生きるほうが、よほどよろしいのではないでしょうか。これを、四字熟語で、「一病息災」と言うわけです。無病息災もいいですけれども、それより一病息災ではないでしょうか。


 完璧な人生などありえないのです。やるべきことは絶対に終わらないし、自分も他人も欠点だらけ。しかし、全部を追い出して完璧にきれいにするようにすると、さきほどの聖書の箇所のように、結果的に、もっと悪い状態になるというわけです。自分のありのままを認めましょう。じつは、わたしたちのこの支離滅裂にしか思えない人生そのものが、そのままで完璧なのですよ。「主は羊飼い、わたしには欠けることがない」!

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